2022年5月12日木曜日

上宮寺(岡崎市)

 

 安祥城址から約3kmの至近距離にある岡崎市西端の上宮寺は、安城市野寺町の本證寺と共に三河一向一揆の拠点となった浄土真宗の寺院。しかし、木造の建物が昭和63年8月に出火で全焼したことから平成8年3月に新築、現在の本堂は銅版屋根、コンクリート造りの非常に現代的な外観に一新しており、土塁と塀に囲まれていた戦国期の寺院の面影を全く残していない。

 境内に掲示されている岡崎市教育委員会の案内板によると、上宮寺は初め天台宗で第23代住持の時に真宗に改め、15世紀中葉に高田派から本願寺派に改派、真宗本願寺派三河3ヶ寺と称され、三河、尾張、美濃、伊勢で末寺・道場105を持つ中本山として大きな勢力を誇った。「永禄6-7年(1563-4)、地域支配権の確立を図る徳川家康と守護不入特権をめぐって対立し、三河一向一揆の拠点となった。一揆敗北後の本願寺派寺院追放命令によって、寺内は破壊されたが、天正10年(1585)に再興が認められた。寺内には、再興に尽力した松月院釋尼妙春の墓がある」。妙春尼は家康の母とは姉妹で、家康の乳母も勤め、強い影響力を持っていた。同時に熱心な本願寺門徒であったという。

 また、同案内板では、中世の上宮寺は北東南を妙覚池に囲まれた方形の平地上に建ち、三方には土塁と堀がめぐらされ、西にも土塁があったと説明。その西の塀と溝に囲まれた区画に寺内町があり、全体として守護不入の特権が認められていたという。ただし、17世紀中葉の矢作川改修や、妙覚池埋め立て工事によって、周囲の地形は大きく変わっている。

コンクリート造りで現代的デザインの本堂

本堂隣の客殿、庫裏もコンクリー造り











境内に松月院
妙春尼の墓

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