北本郷古墳のあった弥厚公園の隣に位置する和泉八劔神社は、榎前八劔神社と同様に日本武尊を祭神とする旧指定村社。公園にある半場川散策路マップの看板によると、同神社は伝承では応仁年間(1467-69)の創建とされ、かつて現在地の北にあったが、江戸時代の正徳年間(1711-16)に遷座し、社殿を造営したという。また、明治時代の神社整理政策によって、境内には社口(しゃぐち)社、稲荷社、山神(やまのんみ)社、御鍬(おくわ)社、田扇(たおうぎ)社、秋葉社が合祀された。
神社の入り口には由来を記した石板が置いてあるが、散策マップの説明文とは社殿の建立時期などが異なる。このためか、「史実と伝承により述べましたが、明治村史と違いもあります」と注意書きもある。明治以降の由来記としては、明治23年に拝殿の新築があり、古い拝殿は神楽殿に改築したが、昭和20年の三河大地震によって倒壊、昭和53年に社殿を造営したと記されている。また、北本郷古墳の発掘によって古鏡、菅玉、古剣が出土、神社の宝物として保管されている。出土品はいずれも5世紀のものと鑑定され、安城市の指定文化財となっている。
境内の広さは約1千501坪。境内には社殿、神楽殿、社務所、境内末社のほか、「さざれ石」も設置されている。「君が代」の中で歌われている同石は石灰質角礫岩で、産地の岐阜県春日村から持ってきたもの。さざれ石は小さな石の意味だが、設置された石は長い年月をかけて凝結したかなり大きな塊である。もちろん、通常期は木々に囲まれた境内は深閑とした雰囲気で、神職や係員はもちろん、参拝者の姿も滅多に見えないようだ。
平成12年に改築された神楽殿 |
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