高棚町町内会は月1回、町内の行事などをまとめたA3判の「たかたな町内会ニュース」を発行、回覧板を使って町内に配布している。この5月1日号に「旧西組秋葉社、津島社の遷座」という記事が載った。高棚神明神社は社殿の西側と東側に6社の境内末社を構えていたが、このうち東側の2社が老朽化していたことから閉社したと告知する内容だった。同神社では昭和4年から境内に御堂を建立して馬頭観音菩薩を安置してきたが、平成4年に取り壊し(一時別の場所に移転)、同30年に高棚薬師寺に合祀、御堂跡地には石柱と牛馬繋ぎ石を設置した。この馬頭観音も老朽化が取り壊しの契機だったが、同時に農耕の機械化も理由の一つだった。
たかたな町内会ニュースでは、「社殿東側に鎮座されていた旧西組秋葉社・津島社において、4月2日遷座式を執り行い、社殿を閉じされていただきました。社殿の老朽化と維持管理が懸念されており、旧西組の皆さまに今後についてのご意見を集約した結果、秋葉社・津島社の神様をお返しして社殿を閉じる事となりました」と解説。秋葉社は明治29年に竣工、津島社は明治33年に竣工したという。
社殿東側には別の組の秋葉社の建物だけは残され、撤去された2社の跡はその後空いたままになっている。当面存続可能と判断された秋葉社の組には当家もなぜか加わっており、現在もまだ社殿前の石灯籠に火入れ儀式を順番に行なっている。また、社殿西側には現在、多度社、秋葉社、御鍬社の境内社が並んでいる。いずれもかなり建物は古びてきているが、秋葉社だけは社殿前面部の板が張り替えられている。秋葉社はこのほか飛地境内社が町内2カ所にあり、高棚町では火伏せ信仰が広く根付いていると言えるが、建売住宅、新築住宅の増加と共に世帯層の若年齢化によって神道に対する信仰はかなり薄れてきているのではないだろうか。
秋葉社の右側が2社撤退して空き地に |
旧西組秋葉社、津島社が撤去される前 |
社殿西側に残る御鍬社(左)と秋葉社、多度社 |
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