日本で一番多いと言われる八幡信仰に関わる神社は安城市内にも数社あるが、そのうち最も歴史の新しいのが二本木八幡社。周りは大通り裏の住宅地で、鳥居付近には由緒を記した石板などもなく、どことなく新しい町の新しい神社といった雰囲気が漂っている。創建されたのは昭和29年9月で、刈谷市の野田八幡宮と岡崎市の伊賀八幡宮の分霊を合祀し、新たに社殿も造営したという。祭神は應神天皇、神功皇后、仲哀天皇、鐸和気尊、比咩大神、天照国照日子火明命(二本木連合町内会ホームページ)。
市教育委員会のリーフレット「安城歴史の散歩道」では、明治の初め、同地に茶園を開いた家が家業の守り神として秋葉社、稲荷社、山上社を祀ったのが始まりで、その後、明治用水が完成して開拓者が増え、村の人々の守り神となっていったと記している。昭和29年の本殿創建のあと、「狛犬、拝殿、灯籠などが建てられ、神社としての姿が完成しました」。碧海郡依佐見村にあった二本木町は安城市に編入合併後、JR東刈谷駅、新幹線三河安城駅ができ、名古屋のベッドタウンとして大きく発展、美園町、緑町、二本木新町、三河安城町、三河安城本町が次々と分町された。このため、大字二本木の住居表示だった八幡社は緑町1丁目となっている。
二本木連合町内会のホームページによると、二本木八幡社の敷地は645.5坪。拝殿の横には社務所があり、その反対側に神楽殿、その奥に境内末社が祀られている。同ホームページに記載されている末社は稲荷社、秋葉社、山上社で、一つの社殿しかないが、これは3社が合祀されているためという。このほか、境内には伊吹山麓から持ってきたという巨大なさざれ石が祀られている。氏子数は平成11年で1千500戸、同26年で3千戸と記されている。15年で倍増したことになるが、それだけ地域の人口が増大したとも言える。都市化が進んでいる地域だけに旧弊なしきたりに囚われている南部地帯と違って、二本木連合町内会では八幡社の運営の基盤としている神社費は町内会費とは別に徴収しており、全員一律の強制ではなく町内会員の判断に委ねた任意の徴収としている。年1回の賦課金は持ち家者1000円、借家者500円。
奥には住宅地が広がる社務所 |
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