たまたま京都に行く機会があったので、碧海郡泉郷(ろ安城市和泉町)に生まれた石川丈山が江戸時代初期に建てて晩年を過ごした京都の詩仙堂を10月20日に見学した。出町柳駅から出ている叡山電鉄の一乗寺駅で降り、商店街をまっすぐ東に歩いていくと10分ほどで宮本武蔵で知られる一乗下り松に着き、その先の坂道の途中に詩仙堂はあった。建物は竹林に囲まれた石段の先にあり、料金を払って部屋に入ると読書室「詩仙の間」などがあり、広間から回遊式庭園を眺めることができる。
詩仙堂の反対側に駐車場があり、そこに京都市が立てた史跡解説の看板がある。その看板によると、現在は六六山詩仙堂丈山寺と号する曹洞宗の寺院で、元は石川丈山が寛永18年に隠棲のために建立した山荘「凹凸窠(おうとっか)=でこぼこした土地に建てた住居」。昭和41年に寺に改められたという。
中国の詩人の肖像が掲げられた詩仙の間 |
回遊式庭園が一望できる広間 |
鯉が泳ぐ池もある広い庭園 |
「詩仙堂の名は、狩野探幽らの筆による36人の中国の詩人の肖像と、丈山自らが書いた各詩人の詩が四方の壁に掲げられた『詩仙の間』に由来する。回遊式の庭園は白砂と皐月の刈り込みが美しく、藤、花菖蒲、杜若、紫陽花、萩、山茶花など、四季それぞれに美しい姿が楽しめる。東には滝が配置され、丈山が考案したといわれる僧都(ぞうず=添水、鹿おとし)の音が、静かな庭園に風情を添えている」。庭園は広間から眺めるだけではなく、備え付けのサンダルを履いて散歩することもできる。有名な観光地とは言えないが、京都ならではの風情のある回遊式庭園に惹かれるためか平日でも訪れる観光客は予想以上に多いように感じた。
詩仙堂のリーフレットでは、天正11年に三河国に生まれ、16歳で家康に仕えて近侍となって、大坂夏の陣で功名を立てた石川丈山の紹介も行っている。33歳で徳川家を離れ、京都で文人して朱子学を学んだ。59歳で詩仙堂を造営、没するまでの30余年を聖賢の教えを自分の勤めとし、寝食を忘れてこれを楽しんだという。
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