戦国時代の武将や明治時代以降の軍人など、神社では昔から人を神として祀る慣習があったという。旧東海道沿いにある明治川神社はその一つ。武将や軍人ではなく、矢作川から取水する大規模農業用水・明治用水開削の貢献者を守護神として祀っている。神社の創建は明治18年(1885)4月1日で、以前は水神社だった(市教育委員会パンフ『歴史の散歩道』から)。現在は水に縁の深い神と共に、明治用水開さく関係者の都築弥厚、伊豫田与八郎、岡本兵松、西沢真蔵の4人が合祀されている。
当初からの祭神は大水上祖神(みくまりのおやのかみ)、水分神(みくまりのかみ)、高龗神(たかおかみのかみ)。「七十余年の歳月を経た明治13年(1880)4月、用水路竣工の式と祝賀の宴が盛大に挙行された。その時の一同の歓喜と感激とがここに結集して神社を創建することとなった。用水の欠缺をかこち農村の疲弊に泣いたのが用水路の開通によって一大飛躍を見るに至ったので、水に由縁の深い神、三柱を同年12月現今の境内地に勧請し奉った。その後明治17年社号を明治川神社とし、翌4月に無格社として認可を得、同年10月に本社が落成した。明治42年に無各社より郷社に列格された」と入り口の社記板にある。大正4年に都築弥厚が合祀され、昭和17年に伊豫田与八郎、同26年に岡本兵松がそれぞれ合祀されたという。
境内の坪数は3千572坪と広く、境内北側の旧東海道沿いの鳥居までは長い参道が伸びている。背の高い木々に囲まれた中央には明治用水の流れを引き入れた池があり、「蓑笠を着けて田植えをしている姿」をイメージしたモニュメントが設置。真ん中には傾斜の急な太鼓橋もかかっている。太鼓橋正面に風格のある神明造りの本殿があり、左横には末社の伊佐雄(いさを)神社が設置され、干拓された上倉池などの明治用水関連の功労者を祀っている。
旧郷社だけあって崇敬者数は約1万2千人と旧村社と桁が違う。しかし、本殿の右横にはある大きな社務所は旧村社同様に祭日以外無人で、横のトイレもかなり汚れている。また、明治用水を管理する組織の明治用水土地改良区と関係が深いためか、明治用水を利用する安城市内の農家では町内会を通じて同神社大麻を毎年入手している世帯もいる。
風格ある社殿 |
社殿前の池
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