安城市南東部の鹿乗川周辺に桜井古墳群があるが、その一つである姫小川町の姫小川古墳は碧海大地の端に位置する国指定史跡の前方後円墳。同古墳は何と浅間(せんげん)神社の境内にあり、神社の社殿は高さ9mの後円部に設置されている。静岡県、山梨県を中心に散在する浅間神社の祭神は富士山を神格化したという浅間権現(浅間大神)で、古墳上に社殿を設けた姫小川町の浅間神社は霊山信仰の拠点のような雰囲気も醸し出している。宗教学者島田裕巳氏によると浅間権現は山の神・大山津見神(おおやまつみのかみ)の娘の木花咲耶姫命(このはなさくやひめのみこと)と同一視されており、同神社でも祭神を木花咲耶姫命と記載している。
姫小川古墳は古墳時代前期(およそ4世紀)の前方後円墳で、墳丘長は65mほどあると史跡説明板に記載。「浅間神社のある後円部は、非常に高く造られています。一方、碧海台地を利用した前方部は低く細長いのが特徴になります。後円部の北東側から南西側にかけて幅10m、深さ2mの周溝がめぐっていました。桜井町の二子古墳とともに、三河における古墳時代の始まりを考える上でとても重要な史跡です」。すぐ近くには、高さ4mの姫塚古墳(市指定)、地下に横穴を掘った姫地下拡(同)もある。
浅間神社由緒板によると、重要港として繁栄の地であった同地に孝徳天皇の皇女が多数の従者を伴って上陸して永住、その後皇女が葬られた陵墓を皇塚として地名を姫乃郷と改めた。後世になって木花咲耶姫命を勧請、安産の守護神として崇敬してきたという。昭和2年10月、内務省から神殿境内地を史跡名勝天然記念物にされた。また、愛知県神社名鑑によると、明治5年に村社に列し、17年に拝殿を改築、昭和12年に社務所を新築、境内地を拡張して指定社となる。20年に三河地震によって本殿が倒壊したが、27年に造営復興した。
境内の面積は869坪で、古墳下には昭和50年に新築の薬師堂も設置されている。かつて浅間神社の本地仏として薬師如来を合祀、その後古墳の前方部に建っていた薬師堂が改築移転されたもの。本地仏とは、神の正体とされる仏を指し、日本の神は仏が仮の姿で現れたとする「本地垂迹(ほんちすいじゃく)」の考え方によるもの。「本地仏は神ごと、神社ごとに定められ、そうした仏を社殿内や境内の仏堂に祀るようになった」(米澤貴紀『神社の解剖図鑑』)。
社殿は階段の上 |
社殿への脇道もある |
すぐ近くの姫塚古墳 |
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