安城市がまだ誕生していない太平洋戦争中、明治航空基地は旧碧海郡明治村に海軍の基地として昭和18年4月から建設が始まり、翌19年9月に第二一〇(ふたいちまる)海軍航空隊が開隊した。東端町、根崎町、和泉町にまたがる約200haを使って約6本の滑走路が造られたというが、安城市の遺跡・史跡紹介ウェブサイトではその基地の平面図のPDFを公開している。
滑走路はコンクリート造りのほか、地面を叩いて固めただけのところもあった。滑走路南西部の格納庫に隣接する建物群は基地本部のあった木造の兵舎で、昭和60年まで明祥中学校の校舎として使用されていたという(現在は鉄筋コンクリート造り)。戦後、滑走路など基地は関係者に払い下げられ、現在は田畑や道路、住宅に変わっている。
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