東端公園に接する旧村社の東端八劔神社は、平安時代末期の創建と伝えられている。長年にわたって村の氏神として敬われるだけではなく、太平洋戦争中に明治航空基地ができたことから兵士の守り神としても敬われた。また、近くを流れる長田川左岸の台地にある東端貝塚が境内にまで広がってきており、油ヶ淵が海だった時代の環境を表している貝が見つかっている。
日本武尊を祭神とする八劔神社は安元元年(1175)または治承4年(1180)の創立とされている。境内にある市の看板によると、江戸時代中期に二社併立の社殿を新築し、向かって右側に八劔社、左側に若宮八幡を祀ったと伝えられている。本殿は覆殿の中に収められているが、二間社流造、柿葺(こけらぶき)の建物で、正面が二間となる神社本殿は全国的にも類例の少ない貴重なもの。一般的に覆殿は本殿の四周に柱を立て、その上に屋根を被せただけの簡素な建物が多いが、この覆殿は規模が大きく装飾的で、本格的な社寺建築の様式を有している。本殿及び覆殿は平成24年12月から同26年4月にかけて修理工事が実施された。
境内の面積は約3千465坪で、末社として天王社、源太夫社、秋葉社が並んでいる。このうち源太夫社は乎止与命(おとよのみこと)を祭神に「知恵の文殊」として知られている熱田神宮の摂社(昭和24年に熱田神宮内に遷座)で、同神社から東端に奉祀された。天王社は建速須佐乃男命(たてはやすさのおのみこと)が祭神で津島市の津島神社(津島牛頭天王社)から奉祀したもので、天王社、天白社、八面社、巌島社を合祀して天王社になったという。社殿修理工事では境内に神楽殿、大幟倉庫なども新築した。
令和4年3月時点の東端町の世帯数は1227。油ヶ淵に接する安城市の東端にあり、鉄道もなく、商業施設も少ない田園地域が広がっている。このため、東端公園は平日の昼間でも親子連れが遊んでいるが、その隣の八劔神社には人影はない。もちろん、社殿横の社務所も無人。
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