中日新聞の折り込みタウン紙「安城ホームニュース」は同新聞の系列会社・中日総合サービスが月2回発行しているが、4月22日号にトップ記事として北明治稲荷社の鎮座180年祭が掲載された。同稲荷社はJR安城駅北口から徒歩6分の明治本町4丁目にあり、安倍晴明の母の葛葉(くずは=狐の化身)が住んでいたという言い伝えから「葛葉稲荷」とも呼ばれていた。鎮座180年祭では、拝殿と幣殿奥の覆殿に隠されている本殿が初めて特別公開された。
稲荷社鎮座180年祭のあった4月24日には、午後2時から本殿を特別公開すると共に、神楽殿で地元の少女たちによる舞が披露され、参拝者に餅と菓子が振る舞われた。さらに、町内在住の彫塑家うえむらゆみこ氏が消しゴムはんこでデザインした御朱印を頒布、神社の由来、境内図などを記載した観音開き8ページのしおりも無料配布した。当日は生憎の雨模様の天候となったが、午後2時前に境内に長い行列ができるなど大きな賑わいとなった。行列に20分くらい並んで覆殿の中に置かれている本殿を見て、私がまず感じたのは「こんなに小さいのか」。
しおりによると、稲荷社は天保13年(1842)、安城村領主の久永家が安城が原の開発許可を得た際に京都伏見稲荷より倉稲魂命(うかたのみたまのみこと)を勧請したことに始まる。明治14年(1881)に「明治稲荷社」の公称が認可され、同24年(1891)に東海道線によって地域が分断された以降は、地区名の北明治をつけて「北明治稲荷社」を呼称した。本殿は建築様式から勧請の時期より前、1700年代中期に建造されたものと推測され、他の地に存在していたものを本殿に利用したのではないかと言われている。
境内面積は797坪。境内には社殿、社務所、神楽殿、秋葉社と津島社の境内末社のほか、伊勢神宮遥拝所、奥の院などもある。
境内末社の秋葉社と津島社 |
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