明治用水の恵みを受けた田園地帯だった二本木地区は、昭和41年のJR東刈谷駅の開設に伴って住宅街に変貌、さらに同63年の新幹線三河安城駅開設よって、ビジネスホテル、マンションなどが次々とできるなど周辺の都市化が進展した。二本木連合町内会のホームページによると、昭和35年10月時点の二本木町の世帯数は214戸だったが、平成4年1月時点では分町した美園町、緑町なども含め全6町の世帯数は7千122世帯(県営依佐美住宅の642世帯除く)となり、約60年間で何と33倍に増大している。
市教育委員会のリーフレット「安城歴史の散歩道」によると、二本木の名称は江戸時代からあり、当時は野田村に属していた。明治36年に碧海郡依佐美村大字野田字二本木となり、昭和30年に依佐美村は刈谷市と合併したが、二本木地区は農業地帯の安城市とのつながりが深かったため安城市に編入合併した。明治時代の二本木は無人の小松原の大地で、明治用水開削後、開拓者が各地から移住し、やがて緑の水田地帯へと変わったという。
住宅地として発展する共に土地区画整理によって二本木町の分町も活発になり、昭和50年に美園町、緑町、さらに60年に二本木新町、平成18年には新幹線周辺土地区画整理事業によって三河安城町と三河安城本町が分町された。また、新幹線周辺土地区画整理では横山町、箕輪町の一部を合わせた三河安城東町、三河安城南町も同時にでき、二本木町、二本木新町の一部も編入された。分町に合わせて、昭和30年設立の二本木町内会は51年に二本木連合町内会に変更、二本木、美園、緑の3町内会の連合となった。さらに60年に二本木新町が加わり、平成28年に三河安城本町町内会、三河安城町内会が発足、連合町内会は6町内会の連合となった。
現在、二本木連合町内会の加入世帯数は、二本木町が821(加入率88%)、美園町が1112(同78%)、緑町が1041(同80%)、二本木新町が920(同76%)、三河安城本町が934(74%)、三河安城町が629(66%)で、合計加入世帯数は5457(同77%)。町内会費(年額)は持家者が4千500円、借家者が3千500円、ワンルームマンションが3千円。安城市の南部農業地帯にある町内会と比べて二分の一以下とかなり安い。しかも、インターネットで総会資料も公表するなどオープンな姿勢で、二本木八幡社を支える神社費も任意の徴収となっている。
三河安城本町の明治用水親水施設 |
巨大なビル群で構成の県営依佐美住宅 |
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