NHKのBSプレミアムで7月13日夜に放映された、徳川家康と三河一向宗一揆をテーマにした「英雄たちの選択」を見た。予告通り、愛知県安城市の城郭寺院として知られる本證寺が大きくフューチャーされた。しかし、一揆の拠点となった岡崎市に点在する他の一向宗寺院は地図だけの放映にとどまった。上宮寺などは現代的な建物に改築されており、唯一戦国期に面影を残している本證寺に焦点が当たったのは当然と言えるかもしれない。
番組では外堀に囲まれた本證寺の寺内町は砦のようだった岡崎城の城下町より栄え、「不入の権」で外部からの権力行使を排除していたと説明。最後に家康に騙し討ちのような形で一揆に加わった一向宗(浄土真宗)の寺院は壊滅、一揆に加担した有力家臣は許して軍勢を整え、家康は天下統一に向かっていったということで終了した。放映時間の関係もあったかと思うが、その後、一向宗は家康の母親と姉妹で乳母も勤めた妙春尼の尽力で寺院は再建され、西三河地方に再び一大勢力を築いていった。この妙春尼の墓は上宮寺の境内にある。
こういった状況について、和本『三河国門徒兵乱記』は次のように記している(郷土史『桜井の歴史』から)。
「その後、20年を隔てて、1583年、石川日向守家成の御母堂の発案によって、家康公の側近たちの力添えもあり、一向宗門御制禁は解かれる。皆、それぞれ寺に帰り、しだいに一向宗を再興していった。そして、この家康公の御慈悲に対して、悦んだのだった。うわさによれば、石川家成の御袋(御母堂)のもとへ送られた御赦免状にはつぎのように書かれていたとのことである。『本願寺門徒の事、この度赦免するから、三河一国に、前々からあった道場は、まちがいのないようにせよ。そうであれば、このことは、聞きいれよう。以上 天正11年12月晦日 家康(御朱印)』」。石川家成の母親が妙春尼である。
一部残っている外堀もハスに覆われている |
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