2022年7月5日火曜日

大浜騒動の石川台嶺

 

 西三河地方は浄土真宗大谷派が極めて隆盛な地域であり、大浜騒動の中心人物として逮捕、斬首された石川台嶺(いしかわ・たいれい、1843-1871年)も、安城市小川町の蓮泉寺に婿入りして政府の神道国教化政策に対抗した。刑は明治4年12月に執行されたが、その後真宗大谷派は大浜騒動を護法精神(仏教を守ろうとする思い)から起きた出来事と考え、台嶺の死を「殉教」と捉えた。明治20年に火葬された場所に墓碑が建てられ、さらに大正13年には西尾市葵町の処刑地に殉教記念碑が建立された。

西尾市にある殉教記念碑

 西尾市岩瀬文庫の特別展「三河大浜騒動150年」で配布された資料によると、石川台嶺は西尾市の順成寺で生まれ、25歳で蓮泉寺に婿入りした。明治2年、約200人と言われる会員で「三河護法会」を結成し、幹事となった(総監は高浜市専修坊住職・星川法沢)。三河護法会では、本山の講者や三河の学匠らを招いて内外の宗教、思想を学んだ。その中心となったのが岡崎の暮戸会所(現暮戸教会)で、ここで政府の神道国教化政策による寺院統廃合の動きに対して激論。明治4年3月2日に若手を中心に30余人が血誓をして大浜に向かい、大浜騒動となった。

 大浜騒動で実刑となった僧侶は32人で、門徒百姓も実刑となった。このうち29歳で斬首となった台嶺のほか、役人殺害の罪を被った安城市城ヶ入の榊原喜代七(門徒百姓)も絞首刑となった。また、準流刑10年の星川法沢は獄死、徒刑1半の安城市桜井の円光寺僧侶、安城市野寺の善證寺僧侶、あま市下ノ森の順正寺僧侶(台嶺の弟子)、安城市城ヶ入の城泉寺住職も牢死。安城市ではこのほか、赤松・本楽寺住職が徒刑3年、今村・専超寺住職が徒刑2年、里・西方寺住職と姫小川・誓願寺住職、根崎・宝林寺住職が徒刑1年半、榎前・信照寺住職が徒刑1年の刑を受けた。さらに、高棚・空臨寺住職、野寺・本證寺住職、東端・念空寺住職、小川・蓮泉寺住職(台嶺の養父)、寺領・松韻寺住職も糾弾された。(岩瀬文庫特別展図録から)

安城市小川の蓮泉寺
蓮泉寺裏にある護法有志の墓
榊原喜代七の墓がある城ヶ入・城泉寺

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