8月17日付の朝日新聞朝刊三河版で、西尾市岩瀬文庫で開催中の「大浜騒動」がトップ記事として掲載された。岩瀬文庫の特別展「三河大浜騒動150年」は5月14日から開かれ、7月2日から展示内容を一部入れ替え後期の展示会に入った。後期展示会は8月31日までで、新聞に掲載するのはかなり遅いと言える。しかし、新聞社の取材ということから一般来場者は撮影禁止の農民が騒動の時に使った竹槍、首謀者として処刑された時に石川台嶺が着ていた血染めの白衣なども掲載され、岩瀬文庫長のインタビューも掲載されるなど、資料をなぞっただけの「安城市の不思議ブログ」とは違って掘り下げた内容の記事となっている。
ただし、この記事には大きな勘違いがある。見出しに「廃仏毀釈の動きに反発、浄土真宗門徒らが役人殺害」とあり、前文にも「近代化を推し進める明治政府のもと、地元の役人が寺院の統廃合を発令。反発した浄土真宗門徒らが集まり、役人を殺害する事態に発展した」と書いてある。騒動の中心となった三河護法会は、東本願寺における学問の場として学寮に設置された護法場で学んだ僧侶が明治2年に設立したもので、会員はに200人を超えたという。つまり、朝日新聞の書いている「西三河に多い真宗寺院の僧侶や門徒ら」ではなく、正確には「真宗大谷派(東本願寺派)」である。揚げ足取りとか言われるかもしれないが、徳川家康が東本願寺を造り、浄土真宗は東本願寺と西本願寺に分かれた。戦国期の三河一向一揆なら「浄土真宗」と記載せざるを得ないが、安土桃山時代から浄土真宗は2派にはっきり分かれている。
しかも、西三河地方は真宗大谷派の寺院がほとんどの町にあると思うほど数多く存在、これに対して本願寺派(西本願寺派)の寺院はわずかしかない。大谷派は合計363寺院あり、岡崎市に90、豊田市に88、西尾市に81、安城市に32、碧南市に19、刈谷市に18ある。これに対して、本願寺派は47寺院しかなく、岡崎市に21、西尾市に10、碧南市に7あるが、安城市、刈谷市、高浜市にはわずらか1寺院ずつしかない。大浜騒動には大谷派の行動派僧侶約30人を中心に最終的に門徒など約3千人が集まったが、西三河では少数派だった本願寺派の僧侶、門徒はひとりもいなかった。
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