安城町社口堂の舌状台地の端に位置し、安城城が築かれるまで地頭の居館として使われたという安城古城址。安城城址から西へ歩いて約10分、名鉄西尾線のすぐ西にある竹藪に続く林にあり、現在は「社口社」という小さな神社が祀られている。安城市教育委員会の案内板がなければ、城址とは誰も気づかないほどの小さな林である。すぐ隣は子ども向け遊具が置いてある公園で、どことなくのどかな雰囲気も漂っている。
案内板によると、平安時代には志貴庄(しきのしょう)の荘館があったという説があるが、詳しくは分かっていない。鎌倉時代には地頭の館となり、安藤氏が居館とした。室町時代は和田氏5代の本拠地となり、1438年(永享10)の永享の乱後、安城城を築城し移転したため、廃されるに至ったという説があるという。「1540年(天文9)、織田勢が安城城を攻めたとき、松平側はここを前線基地のひとつとして兵をいれて戦ったとも伝えられています」。
安城市の指定史跡であり、市によると東方向に突き出した舌状台地の端に位置し、全体として周囲の低地から民家1階分以上の差のある高みとなっており、要害になりうる場所という。城郭ではなく、安城城より古い居城ということで「古城」と呼ばれている。要するに城址と言えるほどの遺跡は残っておらず、あまりはっきりしたことが分からない場所になってしまっているようだ。
高台にある社口社についても宗教法人としての登録はなく、地域で祀っている旧村社ではないようだ。近隣の住民が集まって祀っているのか、新しく造営した鳥居、狛犬を寄進している一家が祀っているのかよく分からない。
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