神道系の天理教は戦前、新宗教の中で最も規模の大きい教団だったが、戦後に創価学会の台頭によって陰が薄くなった。それでも現在も創価学会に次ぐ勢力を持ち、本部直属の大教会と下部組織の分教会で構成される教会は全国に1万以上ある。西三河にも分教会がたくさん存在し、安城市には福釜町の安城分教会と御幸本町の花ノ木分教会と2つあることをすでにレポートした(こんなにある安城市内の新宗教教団施設3)。さらにもう一つ、Googleで六ツ美分教会という教団施設も検索できたことにも触れたが、この施設の存在を現地に行って確認した。
天理教六ツ美分教会は名鉄米津駅から1.6キロほど東に行った、鹿乗川の南にある藤井町西山という小さな集落にある。この畑に囲まれた小さな集落の一角、瓦葺きの入母屋木造住宅に天理教のマークが付いている。どう見ても民家であるが、玄関横に掲示してある文字のほとんど擦り切れた木の板と白壁に付いているマークで、ここが天理教の分教会ということがなんとなく分かる。家の前には数台の車が停められる駐車場がある。
天理教の分教会は独立採算制で自前運営していく必要があるという。「設立当初は信者数も資金もないため会長の自宅が神殿を兼ねる。その後、信者数が増加し、自宅に入りきらなくなると、資金的な余裕も出て、信者の寄進を募り、敷地を購入し、独立した教会を建設する。その際、信者が土地を献納したり、大工の信者が建築を行う。しかし、さらに信者が増えると、より広い土地を求めて移転したり、周囲の敷地を買う。これを繰り返す」と五十嵐太郎著『新偏新宗教と巨大建築』は記述。同書は地方教会の外観について、「入母屋の屋根の妻側に入母屋の玄関をつけたものだ。正面性を強調する善光寺型の屋根といえよう」と書いている。
民家のような建物の六ツ美分教会 |
いかにも天理教らしい造りの玄関 |
分教会の「六ツ美」の名称はかつて矢作川の東側にあった碧海郡六ツ美村(町)から取ったものと考えられる。同村は岡崎市に吸収合併されているようだが、岡崎市からかなり離れ、西尾市に接する藤井町西山地区は安城市に編入されたかもしれない。
この六ツ美分教会はもちろん、花ノ木分教会、ちょっと規模の大きい安城分教会も、民家と間違えそうな建物の造りだが、 すぐ隣の高浜市芳川町に位置する高浜分教会は木造の重厚な造りの建物である。敷地の奥には広い駐車場も備えていることから、信者数が安城市の3分教会よりも相当多いのではないかと想像される。
壮麗な入母屋造りの高浜分教会 |
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