幕末に誕生して、戦前は教派神道の一つとして公認された金光(こんこう)教は岡山県浅口市金光町に本拠地を構え、関西を中心に勢力を伸ばしてきたという。同じ神道系の天理教に比べると三河地区に教団施設は目立たず、安城市内には1カ所もない。Googleで検索すると、三河刈谷教会、西尾教会、岡崎教会、額田教会、豊田教会が見つかった。このうち、三河刈谷教会は亀城公園近くの刈谷市城町図書館のすぐ南側に広がる住宅街の一角にある。
宗教学者島田裕巳の著書『新宗教驚異の集金力』では、金光教について次のように記載している。「本部もそれぞれの教会も独立採算制をとり、それぞれの場所で信者が行った献金はそこに入金される。一部、各教会が本部に納めている金もないわけではないが、それほどの額にはなっていない。(省略)献金型のビジネスモデルを採用した場合、教団が急速に発展していくときには多額の金が入ってくる」。別の著書『日本の新宗教』では戦前に伸びた金光教の信者数は1950年以降に減少に転じたと指摘、「新宗教は第2次大戦後に教勢を大きく伸ばしていくが、金光教はその波にまったく乗れなかったことになる」と書いている。
三河刈谷教会は生活道路沿いに住宅が並ぶ一角にあり、正面入り口の上に八波(やつなみ)に円に金の紋が付いていなければ民家と間違えそうな木造の建物である。ただし、屋根の妻側を正面に向けた強い正面性を持つ金光教建築の特徴は伺える。隣の住宅がくっ付いているので、教会隣は関係者の住まいかもしれない。駐車スペースも建物の前にしかないので、信徒数はそれほど多くはないと個人的には感じた。
0 件のコメント:
コメントを投稿