大正時代、農村経済の発展のため産業組合が全国で組織され、昭和7年には安城地域で26組合を数えたという。安城村の東組合だった東尾地区の産業組合は、大正6年に安城東尾信用販売購買組合として発足、戦後の改革で東尾農業協同組合となった(昭和38年に合併で安城市農業協同組合の支所に)。産業組合の関連施設は農業倉庫、事務所、共同利用工場の三つの建物から成り、最も古いのは事務所で大正13年の建造という。いずれも現在使われており、特に事務所は東尾町内会事務所、東尾公民館として日常的に活用されている。
安城市ウエブサイトでは歴史的建造物の紹介ページがあり、市内の産業組合について説明、残存している旧産業組合関連施設を紹介している。説明文によると、各産業組合は事務所、農業倉庫などを建設し、組合員に物品の共同購買・販売事業や預貯金・融資といった信用事業などを行っていた。戦時体制下では政府が食料統制のために制定した米殻配給統制法の統治機関として、米の集荷・配給の役割を担った。農業倉庫は米殻の保管・販売業務と検査を行うために設置されたもので、貯蔵室が2または3室連結された規格性の高い建物。かつては各町内のほとんどに建てられていたが、今では数えるほどしか残っていない。
木造平屋建て瓦葺き土蔵造りの農業倉庫 |
木造平屋建て瓦葺きの旧共同利用工場 |
旧東尾産業組合の農業倉庫は5間×5間(1間=1.818m)の大きさの貯蔵室2室からなる土蔵形式で、倉庫の東側には下屋庇をさしかけて2間の前室を設けている。昭和10年に建造されたが、三河地震で損傷したため27年に修理を行っているという。中日新聞では2020年12月に「三河名建築」シリーズで同農業倉庫を掲載。現在、祭礼のしめ縄用に使う麦わらを保管しているが、老朽化が進んでいるのでどう保存するかが課題と東尾町内会役員のコメントを取り上げている。
倉庫の反対側には旧共同利用工場があり、その南側に木造二階建ての旧事務所がある。旧共同利用工場は精米・脱穀・肥料の粉砕などの作業や集荷・荷造りなど共同で行う作業をするための施設で、現在は床を張って町内会集会場として利用されている。事務所はもともと道路沿いに建っていたが、昭和54年に東に曳いて現在の場所に移動したという。このように組合事務所、農業倉庫、共同利用工場の全ての建物が現存しているのは東尾だけと、安城市ではウェブサイトで説明している。
木造2階建て瓦葺き、寄棟造の事務所 |
なお、安城町の東側が東尾町内会、西側が西尾町内会の区域だが、字名の前に東尾や西尾の名称は入っていないので、地図を見ても境界がはっきり分からない。安城城址のある安城町城堀、その北の同拝木よりも東側が東尾町内会の区域だが、城堀の八幡社は東尾の氏神神社であり、周辺は東尾に入るという。また、拝木の中には東尾町内会に入っているところもあり、境界線がきちんと引かれているわけではないようだ。
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