初代安城町長・岡田菊次郎宅を活用した「まちのえき岡菊苑」が3月で閉苑したが、家屋はすでに不動産業者の管理物件となり、立ち入れないよう白いフェンスと覆いで塞がれている。1867年に生まれ、1962年に死去した岡田菊次郎の自宅は碧海郡きっての穀屋となった父親が1917年に店舗も兼ねて建てたもの。朝日町商店街の中心通りにあり、安城市街地で唯一の古い瓦葺き木造建築物とも言われている。閉苑前の3月1日から15日まで一般開放され、建物保存の署名も行われたが、その後署名活動が盛り上がった様子はなく、土地、建物は予定通り売却が終了、近く開発計画が具体化されるとみられる。
閉苑前の岡菊苑一般開放は、交流の場の運営を担ってきたボランティアグループが多くの人々に築100年以上の貴重な建物を見てもらおうと開催した。「入ってすぐの土間には、昨年9月に発刊された菊次郎の生涯を分かりやすくまとめた冊子『安城のまちを創った男 岡田菊次郎』の原画パネルなどを展示し、所蔵品や中庭、茶室も見学できます」(2月24日付安城ホームニュース)。土間に接する畳敷き小部屋には帳場格子、小机、帳場箪笥、金庫が並べられ、その奥に掛け軸、写真、陶器などの所蔵品が展示されていた。
中日新聞によると、安城市議会で3月8日に岡菊苑の保存についての質問があり、「取り壊しが予定されていると聞いているが、移築を含めた保存は経費、期間の面から断念せざるを得ない」という答弁があった。土地、建物を取得した不動産業者の開発計画に、築100年以上の古い木造建築物の保存を期待するのは無理であり、貴重な文化が安城市から一つ消えしまうということだろう。
不動産業者の管理物件となった岡菊苑 |
岡菊苑の中庭の奥には岡田家の住居があり、妻を亡くした後継者が1人暮らしをしていた。しかし、この後継者が急逝したことから別の場所で暮らしている相続人が売却することを決めたという。住居の門は朝日町商店街とは反対の裏通りにあり、中庭、蔵を挟んで、全体の敷地はかなり広い。この住居門の方は5月中旬時点、まだフェンスなどで覆われていない。
裏通りの住居門の方にはフェンスはない |
0 件のコメント:
コメントを投稿