2024年2月4日日曜日

岡崎の松應寺横丁が昭和の遺跡商店街から脱皮

 

 岡崎市松本町の住宅街にある浄土宗の寺院、松應寺(しょうおうじ)は1560年、徳川家康が父・松平広忠を供養するため創建した。このため寺院として広く民衆に開かれず、江戸時代に参詣できたのは将軍や一部限られた者だった。明治期以降、廃仏毀釈などによって規模は縮小し、周辺は花街として栄えていた。昭和20年の空襲で壊滅的な被害を受け、焼け野原となった境内には闇市が乱立、置屋なども復活、やがて「お寺の中に“まち”」ができたという。

 昨年9月に発刊された『昭和の商店街遺跡、撮り倒した590箇所』(303BOOKS)では、西三河では松應寺横丁と西尾劇場(2014年に消滅)を掲載。松應寺横丁は2014年8月に取材したもので、木造アーケードと周辺の飲食店、店舗を撮っている。「ここは戦後闇市がルーツで、昭和20年代後半に現在のアーケードが建設され、最盛期には花屋や呉服店までできて、さらには花街が形成された。その名残りなのか今もバーや飲食店が立ち並びます。まず目に着いたのはエメラルドクリーンの塗装が剥がれ落ちた美容室。『ワンステップパーマ』の文字がレトロ」。

  この松應寺横丁は2013年8月から10月まで、名鉄岡崎駅ビル、岡崎シビコと共に「あいちトリエンナーレ」岡崎会場の展示に活用された。同トリエンナーレ開催時は、まさに『昭和の商店街遺跡』に記してある昭和20年代、30年代の遺跡のような横丁が展示以上に来場者の注目を集めた。展示場に使われたのは木造アーケードの旧あざみ美容室、横の路地の空き家となっていた旧入舟と旧今代(いずれも置屋か?)。

 2018年10月には同横丁の空き家を活性化させるため、5軒の空き家の内覧会が開かれたが、その1軒が旧あざみ美容室で、もう1軒が旧今代だった旧奇天烈写真館。空き家内覧会を記事にした中日新聞三河版によると、松應寺住職が跡を継ぐため2005年に名古屋から帰郷した時に活気のなくなった横丁を目にして、地域住民とNPO法人と共に、「松應寺横丁にぎわいプロジェクト」を始めたという。「プロジェクトが始動して7年。かつての夜の街は『昼の街』に変化を遂げてきた。置屋などの古民家12軒のうち、現在は7軒が稼働。『昭和の薫りが残るレトロでおしゃれな横丁』としてにぎわいを見せるようになった」。その後、空き家だった5軒にはすべて飲食店や店舗が入居し、松應寺横丁は岡崎市内の人気エリアとなっている。

家康の父・松平広忠が眠る松應寺

昭和の薫り漂う松應寺横の路地

平日でも人通りの絶えない木造アーケード街

『昭和の商店街遺跡』に掲載も今は一変

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