2024年2月27日火曜日

風媒社から『愛知の名所いまむかし』発刊

 

 愛知県内の史跡や景勝地の今昔を紹介する『愛知の名所いまむかし』が19日、名古屋市の出版社・風媒社から発刊された。A5判165ページで、税込み1980円。編著は豊橋市図書館副館長の岩瀬彰利氏(60)で、5月25日には「名所はつくられ淘汰される~西三河の名いまむかし」テーマに正文館書店知立八ツ田店」でトークイベントを開催する予定。

 2月22日付中日新聞東三河版によると、岩瀬氏は「県内の名所を取り上げた本を編集してほしい」と出版社から依頼され、ほかに田原市博物館の天野敏規館長や新城市長篠城址史跡保存館の岩山欣司学芸員ら県内外の研究者27人が執筆に協力した。本文では、写真、イラストなどを交え、「あの名所にB面」、「忘れられた名所」、「初三郎式鳥瞰図が描いた名所」、「都市のなかの名所」の4テーマに沿って、熱田神宮や岡崎城など約50カ所の名所が紹介されている。

 取り上げられている名所は名古屋など尾張地方、豊橋、蒲郡など東三河地方が多いが、西三河の名所も若干は取り上げられている。知立・刈谷の三河三弘法、刈谷城址、岡崎城、八橋の古跡と庭園、今はない西尾の「うさぎ島」と「猿が島」、そして刈谷のハイウェイオアシス。残念ながら安城市内や、碧南市、高浜市の名所の掲載は皆無。東三河の研究者から見れば、魅力ある名所は過去も現在もないということなのかもしれない。

 個人的に言えば、一番驚いたのは半田市亀崎の料亭・望州楼には吉田初三郎の鳥瞰図あり、かつては100畳の大広間があったと書かれていること。蒲郡の常盤館(蒲郡クラシックホテルの前身)などを参考に建築、昭和初期の観光ブームに乗って多いの人を集めたという。

正文館書店でトークイベント


2024年2月15日木曜日

200店越えの丸源ラーメン1号店は三河安城店

 

 豊橋市の物語コーポレーションが「焼肉きんぐ」と共に全国展開する「丸源ラーメン」は、今年2月に千葉県柏市に204店目の「柏新富町店」をオープンした。2001年に1号店をオープンしてから全国的規模で店舗数を拡大、ラーメンチェーンとして日高屋に続く第2位の売り上げ規模にまで達しているという(テレビ愛知で放映の「がっちりマンデー!!」)。

 1号店は安城市のJR三河安城駅北の交差点角で営業する直営店の「三河安城店」。カウンター席、テーブル席を合わせて133席とファミリーレストランのような広々とした店内が特徴で、90台の広い駐車場も設置している。昨年8月の東洋経済オンラインには、次のような物語コーポレーション池田事業部長のコメントが紹介されている。「いきなり繁盛店となり、月商3000万円を記録。その後、各地に店舗を拡大しましたが、やがて売り上げが鈍化。数年間は厳しい時期を過ごしました」。この売り上げ低迷の打開策として、競合と差別化できる商品「肉そば」を開発、2005年に定番商品に昇格、2009年ごろには看板商品になったという。

 巨大な店内POPによると熟成醤油ラーメンの肉そばは、「やわらかな豚肉を豚肉をスープと熟成醤油がえしとともに一杯一杯手鍋で炊き込むことで、旨みを甘すことなくスープに移した絶品醤油スープのラーメン」。味玉肉そばや辛肉そばなどの派生商品や、普通の醤油ラーメン、塩ラーメン、味噌ラーメンなども揃える。また餃子、唐揚げなどのサイドメニー、税込107円という激安のソフトクリーム、カップソフトも提供している。

店内に掲示されている肉そばの解説
BEAMS監修のどんぶりで提供の肉そば

 なお、昨年夏にBEAMSジャパンの監修で作製、三河安城店で販売したラーメンどんぶりを同店では現在もどんぶりに使用している。いつまで実施しているかは不明なので、BEAMS監修どんぶりを見るためには早めに来店した方がいいかもしれない。

2024年2月10日土曜日

文具のブンゾウが「ゲオ文具」に変更、しかし全店ではない

 文具のブンゾウのLINEを購読していたので、1月26日付で「ゲオ文具」に屋号を変更するという告知が届いた。しかし、1号店の小田原店と名古屋天白店、鈴鹿店は文具のブンゾウとして営業を継続するという。小田原店オープン時から同店はゲオグループの店舗ではないという記事の間違いを指摘する電話があったが、電話が匿名であり、確証を掴めないままそのままその声を無視した形になってしまった。もう故郷に引っ込んでしまい文具業界とは一切かかわりがなく、ここでその記事を訂正しても仕方がないが、とりあえず個人的に訂正したい。

 当時の取材によると、音楽・映像ソフトレンタルで知られるゲオホールディングス(本社名古屋)は2018年11月5日にグループ会社「株式会社ブンゾウ」を設立、ディスカウント文具のショップ運営に乗り出した。店舗名は「文具のブンゾウ」で、11月30日に約250坪の新築店舗として小田原市郊外に1号店をオープンした。2019年2月8日には東京都福生市に2号店、3月8日には3号店の名古屋天白店、さらに21日に北本店、28日に東金店を出店した。2号店は食品スーパーの別館で営業していたゲオ福生南田園店を業態転換した(その後撤退)。3号店の名古屋天白店は小田原店と同じ新築店舗で、売り場面積もほぼ同じ規模。北本店はゲオ北本店の撤退した書籍売り場に出店、レンタルと文具の複合店となっている。

 当初順調な出店のように見えたが、撤退店舗もあり、数年経っても店舗数はそれほど増えていない。事業規模が拡大しなかったためか、ゲオグループ企業の中にすでに「株式会社ブンゾウ」の名前はない。屋号変更はゲオグループ店ということをより強く訴え、文具事業の再生を図りたいという狙いか。この屋号変更に伴って、小田原店、名古屋天白店、元23ステーションの鈴鹿店は「文具のブンゾウ」として残り、ゲオグループ店ではないことが期せずして明らかになった。ゲオと取引の深い卸商社がモデル店舗として出店していたと見られるが、今後どういう店舗戦略をとっていくのか業界外の人間には全く分からない。 

文具のブンゾウ1号店の小田原店

文具のブンゾウとして残る名古屋天白店


2024年2月7日水曜日

松應寺テラカドコーヒーが人気、中心街の康生町に出店し名古屋へ

 

 岡崎市松本町の松應寺横丁は、2年前に配布されていたパンフレットによると21店舗が営業している。このうち最も有名なのが、昔ながらの木造アーケードに昭和スタイルの店舗を構えている「テラカドコーヒー」。「材料にこだわって作っているクレープと最高級エスプレスマシンで淹れるコーヒーのお店」(松應寺横丁パンフから)で、2021年8月にオープンした。隣の横丁入り口角にネイル・まつ毛エステサロンがパンフに掲載されているが、いつの間にかテラカドコーヒーの菓子工房「バターのはこ」となり、同工房の扉前には専用駐輪場も設置。

 このテラカドコーヒーが昨年11月23日、中心街の東康正通りに2号店「岡崎ニューヨーク店」を出店した。正文館書店本店の南側、通りを挟んだ反対側のビルの1、2階を使って営業しているもの、1階で注文、2階でゆっくり座って飲食する営業スタイルで、1号店と比べ店舗スペースは大幅に拡大している。店員によると、かつて康生町にはアメリカ村があった(未確認)ことから、ニューヨーク店と店名を付け、店づくりもアメリカンスタイルに統一したという。1号店とは異なり、食べ物はホットドックを中心にしている。(出店しているビルはかつて正文館書店の看板を見た記憶があり、今はなくなっているが、同書店の元の店舗かもしれない?)

 名古屋市栄で改築中だった中日ビルが完成、日本出版販売が運営する入場料の必要な本屋「文喫」が2階に店舗を構え、4月23日にオープンする。同店内にテラカドコーヒーが3号店を出店する。出店するのは、大きな窓から久屋大通公園が一望できる、開放的なカフェ空間「POP UPスタンド COFFE-コッフェ-」コーナー。

 日販のニュースリリースによると、POP UPスタンドには様々な飲食店が出店予定だが、開業時には愛知県岡崎市のコーヒースタンド「TERAKADO COFFEE」が出店し、できたてクレープなど、子どもから大人まで楽しめる美味しいデザートをご提供するという。東京・六本木の文喫では有料入場者はコーヒースタンドのコーヒーを自由に飲めたが、栄店ではテラカドコーヒーのコーヒーがただで自由に飲めるのか、ちょっと気になる。もちろん、クレープなど食べ物は有料だと思う。ちなみに、文喫六本木店の入場料は平日が税込1650円で、土・日・祝日が2530円。夜6時以降の夜プラン、平日朝限定プランもあり、いずれも税込1100円。

平日でも立ち止まる人が多い1号店

2号店の岡崎ニューヨーク店
メニューは1号店とはかなり異なる

こちらは1号店の店内で

 

 

2024年2月4日日曜日

岡崎の松應寺横丁が昭和の遺跡商店街から脱皮

 

 岡崎市松本町の住宅街にある浄土宗の寺院、松應寺(しょうおうじ)は1560年、徳川家康が父・松平広忠を供養するため創建した。このため寺院として広く民衆に開かれず、江戸時代に参詣できたのは将軍や一部限られた者だった。明治期以降、廃仏毀釈などによって規模は縮小し、周辺は花街として栄えていた。昭和20年の空襲で壊滅的な被害を受け、焼け野原となった境内には闇市が乱立、置屋なども復活、やがて「お寺の中に“まち”」ができたという。

 昨年9月に発刊された『昭和の商店街遺跡、撮り倒した590箇所』(303BOOKS)では、西三河では松應寺横丁と西尾劇場(2014年に消滅)を掲載。松應寺横丁は2014年8月に取材したもので、木造アーケードと周辺の飲食店、店舗を撮っている。「ここは戦後闇市がルーツで、昭和20年代後半に現在のアーケードが建設され、最盛期には花屋や呉服店までできて、さらには花街が形成された。その名残りなのか今もバーや飲食店が立ち並びます。まず目に着いたのはエメラルドクリーンの塗装が剥がれ落ちた美容室。『ワンステップパーマ』の文字がレトロ」。

  この松應寺横丁は2013年8月から10月まで、名鉄岡崎駅ビル、岡崎シビコと共に「あいちトリエンナーレ」岡崎会場の展示に活用された。同トリエンナーレ開催時は、まさに『昭和の商店街遺跡』に記してある昭和20年代、30年代の遺跡のような横丁が展示以上に来場者の注目を集めた。展示場に使われたのは木造アーケードの旧あざみ美容室、横の路地の空き家となっていた旧入舟と旧今代(いずれも置屋か?)。

 2018年10月には同横丁の空き家を活性化させるため、5軒の空き家の内覧会が開かれたが、その1軒が旧あざみ美容室で、もう1軒が旧今代だった旧奇天烈写真館。空き家内覧会を記事にした中日新聞三河版によると、松應寺住職が跡を継ぐため2005年に名古屋から帰郷した時に活気のなくなった横丁を目にして、地域住民とNPO法人と共に、「松應寺横丁にぎわいプロジェクト」を始めたという。「プロジェクトが始動して7年。かつての夜の街は『昼の街』に変化を遂げてきた。置屋などの古民家12軒のうち、現在は7軒が稼働。『昭和の薫りが残るレトロでおしゃれな横丁』としてにぎわいを見せるようになった」。その後、空き家だった5軒にはすべて飲食店や店舗が入居し、松應寺横丁は岡崎市内の人気エリアとなっている。

家康の父・松平広忠が眠る松應寺

昭和の薫り漂う松應寺横の路地

平日でも人通りの絶えない木造アーケード街

『昭和の商店街遺跡』に掲載も今は一変

2024年2月1日木曜日

豊田市民芸館で「河井寛次郎展」開催中

 


  1月28日のNHK日曜美術館は、日本を代表する陶工として知られる河井寛次郎が自ら設計した京都の工房兼自宅、没後家族の手で大切に守り伝えられている「河井寛次郎記念館」を取り上げた。2階建ての京町屋風木造建物で、自然光が入る大きな吹き抜けがあり、階段をのぼると中央の作業場兼交流の場が一望できる。ぜひ見学に行ってみたいと思ったが、残念ながら京都には簡単には行けない。日曜美術館では最後に豊田市民芸館で「河井寛次郎展」を開催中と告知していたので、京都ではなく同じ西三河の豊田市に行ってみた。

 豊田市平戸橋町にある豊田市民芸館は愛知県唯一の民芸館で、周辺はかつて交通の要衡、川湊、観光地として栄えた平戸橋の土を愛した陶芸家が集まっていた場所。柳宗悦設計の日本民藝館(東京・駒場)の大広間と館長室を移築し、昭和58年に第1民芸館を開館した。その後、昭和60年に第2民芸館、平成3年に田舎家を再現して造られた常設展示場の第3民芸館を建設。このほか、敷地内には茶室、旧井上家西洋館、登り窯、陶芸資料館も並んでいる。

 豊田市民芸館の「河井寛次郎展」は昨年12月16日に始まり、3月10日まで開催している。同館開館40周年事業の一環として企画したもので、開館50周年を迎えた河井寛次郎記念館の所蔵品を集めて柳宗悦と共に日用雑器の美へ関心を深め、「民藝運動」を推進した河井寛次郎の創作活動の全貌を紹介している。会場は第1民芸館と第2民芸館。第1民芸館では初期から後期までの陶業や木彫、書を集めて展示。第2展示場では暮らしを意識した作品や、金工・木彫などのデザインの仕事、合わせて愛蔵品も紹介している。

 「河井の陶業は、東洋陶磁に倣った初期作品、民芸運動を牽引する中での実用を意識した中期作品、独創的な造形美へと変化した後期作品に大別され、いずれも技巧性・独創性において高く評価されています。また、陶業のみにおさまらず、その表現は木彫や書、デザイン分野など多岐にわたります」(展示会パンフから)。

第1民芸館の展示
第1民芸館の展示
第2民芸館の展示




 

 

ららぽーと安城のテナント187店舗を先行発表

  三井不動産は安城市大東町に開発中の商業施設名を「三井ショッピングパーク ららぽーと安城」に決定、来年4月に開業すると発表。同時に、全テナント約210店舗中187店舗を先行して明らかにした。敷地面積は3万1900坪で、地上4階建ての店舗棟(3階までが店舗)と3棟の地上6階建て立...