2022年11月29日火曜日

西三河棒の手交流大会開く


 安城市アンフォーレで「西三河芸能フェスティバル」が開かれた11月27日、アンフォーレの広場では「西三河棒の手交流大会」が開催された。棒の手は愛知県下で広く伝承されている農民武芸で、60以上の地区ので20ほどの流派が伝承されている。今回の交流大会には安城市桜井町の式部流、みよし市の鎌田流、西尾市の鎌田流田貫、豊田市の藤牧検藤流、起倒流、見当流、鎌田流の4地区7流派が参加、各流派ならではの棒の手の演武を披露した。当日は午前中に4地区の棒の手保存会の模範演武が行われ、午後からは4保存会の子ども演武が披露された。

 安城市桜井町の棒の手は桜井町下谷に伝えられているもので、昭和39年に愛知県の無形文化財に指定された。愛知県によると、桜井町の棒の手がどのように伝わったか定かでないが、永禄3年(1560)の桶狭間の合戦後、今川方の家臣式部太夫がこの地にとどまり、農民に伝えたのが起こりで「式部流」と称した。記録としては桜井神社祭礼帳に安永7年(1778)、桜井の下谷を始め4カ所で棒の手が始められたとある。

 桜井町下谷の棒の手には、26種の技があるという。式部流は県下で桜井町以外にみられず、免許皆伝の巻物存在しない。その演技には、全員で行う「神前表棒」「くだき」と、2人から5人で行う「ちらし」がある。演技は棒のみを用いる「表」とキレモノを用いる「裏」があり、棒のほかに、槍・太刀・薙刀・鎌・笠・十手なども使用される。安城市の広報(2019年10月)では、戦中、戦後の混乱で途絶えていたが、昭和30年ごろに復活したと書いている。下谷八幡宮祭礼、桜井神社祭礼で奉納演武を披露している。

午後は子どもの演舞が続いた

桜井町下谷棒の手保存会の子どもたち

最後に大人も含め全員で行った「くだき」

 初めて棒の手という演武を見た。しかし、午後1時半過ぎに会場に着いたので、子どもの演舞しか見られなかった。棒のほか、木刀、槍、十手、鎌など様々な武器を手にした演技が次々と繰り広げられたが、小学児童や中学生らしいちょっとぎこちない動きも目についた。そういうこともあり、次は武術と言われる棒の手の大人による本格的な技を見てみたいと強く思った。

2022年11月28日月曜日

西三河の伝統芸能「安城芸妓」

 

 11月27日、安城市御幸本町のアンフォーレで「西三河伝統芸能フェスティバル」が開催された。安城、刈谷、知立、高浜、碧南、西尾という西三河の「伝統芸能」、「伝統工芸」が体験できる初企画イベントで、主催はトヨタエンタプライズ、キャッチネットワーク共同企業体。エントランススペースに伝統工芸のブースを設けると共に、1階中央のホールで各地域の伝統芸能が披露された。このうち安城市の伝統芸能としては三河万歳のほかに、踊りなど安城芸妓の艶やかな芸が披露された。

 安城芸妓組合のフェブサイトによると、明治用水開削によって農業先進地となった安城市には大正初期から昭和にかけて全国各地から視察者が急増し、接待役として安城芸妓が誕生、花街も急速に発展した。その後、第2次世界大戦で陰を潜めていた花街も芸妓と共に復興、昭和26年ごろから企業の進出などもあり、芸妓も最盛期には100人近くまで増えた。平成に入ってバブル経済の崩壊と共に、芸妓も減少の一途をたどり一時は数人になった。コンパニオンの出現などによって全国的な傾向で、愛知県内では芸妓が活躍するのは名古屋と安城だけになった。

 安城芸妓組合の芸妓は現在12人で、今年4月に5年ぶりに大学を卒業したばかりの新人が加わった。芸妓たちは日中に踊り、三味線、鳴り物、笛を学び、夜は市内の宴席で接客を行っている。地元商工業界を中心にした後援会組織「安城芸妓文化振興会 笑美素(えびす)会」が2002年に発足、稽古代などを支援しているという。11月23日には、この笑美素会20周年記念の披露会がへきしんギャラクシープラザで開催された。

三味線、太鼓、鼓、小唄と踊り

音楽に合わせて3人踊り

 アンフォーレでの芸披露は午後2時からの20分間余りで、芸妓10人による三味線、太鼓、鼓の演奏、小唄と踊り、さらに音楽に合わせた3人の踊りを披露(各曲目はメモしていないので不明だが、12月26日午後1時からKATCH地上デジタル121chで特別番組として放映される予定)。最後に、子どものころに聴いたことのある懐かしい島倉千代子の「安城小唄」に合わせて、10人が華やかな踊りを繰り広げた。 

 個人的な思い出になるが、自営業を営んでいた亡父が桜の咲く岡崎公園で宴席を設け、1人の安城芸妓を招いたことがあった。昭和の高度成長期であったが、昼間の宴席にいったいいくら請求されたのだろうかちょっと気になる。ちなみに、現在の芸妓1人の基本料金(2時間)は16,500円(税込)、延長料金 20分につき2,750円(税込)とウェブサイトに出ている。ただし、安城料理業組合加盟店以外への出張には車代と片道分の花代が必要という。

フィナーレは安城小唄







2022年11月26日土曜日

赤字続く名鉄にしがま線のてこ入れへ


  名鉄西尾線は新安城駅を起点に吉良吉田駅まで走っているが、このうち西尾駅から吉良吉田駅間と蒲郡線全線を「にしがま線」と呼んでいる。このにしがま線は沿線自治体の西尾市と蒲郡市が維持費を一部負担している赤字路線で、新型コロナ禍で赤字が拡大し、存続が危ぶまれていたが、昨年度の営業実績では乗客数が7.4%回復した。しかし、依然として赤字が約7億5千5百万円に上ること(中日新聞発表)から、今後の運行継続に向けて名鉄との交渉を進め、同時に乗客数拡大に向けた様々な施策を打っていく計画という。

 にしがま線では、昭和の時代が漂うレトロな木造の西幡豆駅と東幡豆駅の駅舎が昨年11月に取り壊された。西幡豆駅舎は昭和35年、東幡豆駅舎は昭和34年に建築され、それぞれ約60年経過、老朽化が著しくなったことから壊された。もともと無人駅だったが、駅舎と共に発券機なども撤去されたため、ホームに乗車駅証明書発行機が設置された。東幡豆駅には駅舎内に近くにあるトンボロ干潟(干潮時に道が現れ、島に歩いて渡れる)の写真も掲示されていたが、もちろんその写真も消えた。ただし、駅舎横のトイレだけは改修されて残っている。

取り壊される前の東幡豆駅
駅舎内に掲示されていたトンボロ干潟の写真

駅舎が撤去された現在の東幡豆駅

 10月19日付の日経新聞デジタル版によると、乗客数拡大に向けたてこ入れ策として、来年には東幡豆駅を「トンボロ干潟の見える駅」のような副駅名を付ける計画があり、さらに西幡豆駅と合わせて同駅を改修する案が浮上しているという。また、近くの西浦駅は駅舎をリニューアルする予定で、今年3月には西尾駅に誰でも自由に弾ける駅ピアノが設置された。このほか、電車編、西尾編、蒲郡編のにしがま線PR動画も制作され、9月にYouTubeで公開された。

 「最近は、鉄道を使う機会は少なくても列車が走る風景を大切にする風景を大切にすることが『センチメンタルバリュー(情緒的な価値)』と呼ばれる。鉄道への過剰な評価を突き放す視点と言える。にしがま線も、現実的な価値を見極めようとされている」(日経新聞デジタル版)。三河湾を臨む丘と集落を縫うように走るワンマン列車、採算性だけで見えない価値がにしがま線にはある。

吉良吉田駅を蒲郡に向けて出発する赤い列車



2022年11月22日火曜日

こんなにある安城市内の新宗教教団施設4


  新宗教で最も勢力の大きい創価学会は、教団施設として全国の主要都市に文化会館を展開している。安城市にも新幹線三河安城駅南口にあるピアゴ三河安城店の南側に文化会館の建物はあるが、現在は門扉が閉まり、どの窓のカーテンも降ろされたままで、文化会館として使われていない。車で10分ほどの刈谷市半城土町に刈谷文化会館があり、安城市内の学会員はこちらに方に通っているのではないかとみられる。

 「安城文化会館」の看板を掲げている建物は3階建て鉄筋ビルで、1階は駐車場となっている。昔のゼンリン住宅地図には「創価学会文化会館」と書いてあり、近くには会館駐車場の名前も入っているが、いつから会館として使われなくなったのかは分からない。しかし、現状の建物が古びた感じがしないので、使われなくなってまだそんなに年月は経っていない気もする。創価学会のサイトには「会館ってどうなっているの?」という動画が掲載、「会館には礼拝堂や会議室があって会合やイベントなどを行なっている」と会館内部などを紹介している。1990年代に日蓮正宗と訣別してからは文化会館が寺院代わりとなっているようだ。

建物は古びていないがひっそりした安城会館

ずらり車が並んでいる刈谷文化会館

 島田裕巳は『日本の新宗教』(KADOKAWA)で、新宗教の教団は軒並み衰退の傾向がみられるとして、次のように創価学会について記述している。「もっとも勢力の大きいのは創価学会になるわけだが、現在の会員数は827万世帯となっている。創価学会の世帯数はここのところまったく変化しておらず、変化していないということは増えていないことを意味する。創価学会においてさえ、会員数は減少しつつあるものと思われる。信仰に熱心な一世世帯が高齢化していることは間違いない。二世や三世の信者は、切実な理由があって入会したわけではないので、信仰に対する熱意は弱い」。

 安城会館が使われなくなっているのは、やはり会員数の減少なのだろうか。岡崎市には鴨田町の岡崎文化会館と美合町の岡崎南文化会館があったが、このうち岡崎文化会館はグーグルでは検索できなくなっている。安城文化会館と同様の状況になっているかもしれない。

 

2022年11月19日土曜日

町内会の神社費徴収についての安城市の見解

 町内会の神社氏子費あるいは神社費一律徴収の件名で、安城市公式ウェブサイト「望遠郷」に質問をしたところ、6月15日付で回答をメールでもらった。その後、高棚町内会では協議会で氏子奉賛費の一律徴収の是非について協議、任意徴収に切り替えることができないと決議したと個人的に回答をもらった。しかし、個人的には町内会長、協議員議長、副議長と協議員10人だけで決めて、結果も広く告知していない非民主的な方法自体も問題と言わざるを得ない。

 市会議員に立候補するため現町内会長が辞任を表明したこともあり、改めてなぜ高棚町内会は氏子奉賛費の任意徴収に移行できないのか問いたいと思う。この氏子費あるいは神社費一律徴収は外部からの人口流入が激しい二本木地区では止めているが、高棚町内会のほか、福釜町内会、榎前町内会でも町内会費とは別立ての方法で一律徴収を行っている。

 町内会における神社氏子費あるいは神社費一律徴収の件について、6月15日付で安城市からもらった回答は次のようなものである。町内会に強要できないと書いているが、「個人が神社費を支払うかどうか選択できるような仕組み」を推奨している。最近イスラム教徒が高棚町に引っ越してきたと聞いた。宗教が多様化している中で神道をなぜ町内会が支えるのか、前例主義ではないオープンな話し合いをぜひ行ってもらいたい。


 [安城市からの回答]

 お問い合わせありがとうございます。

 町内会の神社費について、安城市としても、町内会費とは別に会計を設け、各個人が神社費を支払うかどうか選択できるような仕組みにすることを推奨しております。

 町内会、自治会は任意団体のため、市が強制的に会費の徴収方法等を変更させることはできません。また、古くからの慣習や伝統があるため、一つの協議に時間を要することもあるようです。

 地域により実情が異なるため、会費の徴収等については、各地域で納得のいく方法となるよう話し合いをしていただくようお願いします。

市民生活部市民協働課地域振興係


[質問内容]

 高棚町内会では、町内会費とブロック費(全5ブロック)の二重構造で町内会員から会費を徴収、このうちブロック費は使途を明らかにせず現金で集めていますが、決算書では毎年、2000円を神明神社の氏子奉賛費に支出、これとは別に祭余興費(昨年度は2000円)を計上しています。

 平成14年の佐賀県鳥栖市の自治会神社関係費訴訟では、自治会・町内会の神社への支出は、宗教上の行為への参加を強制し、信教の自由を侵害するものとして、民法の趣旨に照らして違法な行為であるという判決が出ています。新潟市中央区の自治会・町内会ハンドブックでは、Q&AのQ8で募金は任意で強制力を伴わないものとして、「氏子会費の集め方も自治体・町内会とは別に、会計を設けて氏子で管理し、個別に会費を徴収するなど、地域の実情に応じた一番良い方法について話し合ってください」と説明しています。

 高棚町内会では、全体の総会は開かれず、ブロックごとの総会で、そこで出た課題などは各ブロック2人の協議員と町内会長で開く協議会で討議しています(あとで議長、副議長の存在を知る)。そこで、昨年度の西ブロック総会で氏子奉賛金を一律集めることは違法で、改めるべきと意見を述べ、ブロックで判断できない事項なので、「協議員へボールを渡し、町内会として議論を進めてもらいますので結果が出るまでお待ちください」と回答をもらいました。

 現在、すでにその回答から4ヶ月ほど経過したが、何ら返事を貰っておらず、町内会が月1回出しているニュースでも協議会の協議項目にも入っていません(その後、協議会で9対1の賛成で一律徴収継続を決定し、個人的に結果が通知されたが、公の発表はない)。最近発見しましたが、二本木連合町内会では町内会費とは別に持ち家者1000円、借家者500円の神社費を徴収しているが、神社費については任意という。しかも、神社会計もネットで公表しており、神社費の中に例大祭費も含めています。もちろん、高棚神明神社の決算は公表されていません。

 安城市は広報誌なども使って熱心に町内会への加入を呼びかけていますが、氏子費を一律に徴収し、しかも補助金を受ける関係で市に提出義務のある町内会費には入れず、決算時にしか内訳を公表しないブロック費に入れるなど徴収方法も合わせて、高棚町内会は二本木のようなオープンな姿勢が見えません。

 安城市としては町内会の神社費徴収について、どのような見解をお持ちなのかぜひお聞きしたいと思います。信教の自由を侵害する一律徴収を放置したままでいいのかどうなのか。神道とは相入れない意見をお持ちの住民、また市会議員などもいらっしゃると思いいますので、これから高棚町内会と話しあっていく場合にも参考にさせていただきたいと思います。


2022年11月18日金曜日

こんなにある安城市内の新宗教教団施設3


  神道系の天理教は創価学会に次ぐ勢力を持つ新宗教で、本部は奈良県天理市にある。全国に1万以上ある教会は、本部直属の大教会とその下部組織の分教会で構成されている。愛知県内では大教会は名古屋市、小牧市などにあるが、 Googleで検索してみると西三河にはないようだ。しかし、分教会は西三河にたくさん存在しており、安城市内にも福釜町の安城分教会と御幸本町の花ノ木分教会と2つある。

 安城分教会はピアゴ福釜店西側、福釜町矢場の工場と田圃の間の生活道路沿いに立地。駐車場奥の教団マークを掲げた平屋建ての瓦葺き建物が教会施設であるが、その後方の平屋建て瓦葺き建物も同じ敷地内から入ることができる。さらに、入口が別に設けてある後方の2階建て瓦葺き建物、その前の簡易倉庫型建物も同じ敷地内にあり、これらすべてが安城教会施設となっているようだ。かなりの規模を誇る分教会と言える。また、花ノ木分教会は桜町交差点にあるセブン-イレブン御幸本町店の裏通りに立地。入母屋屋根の瓦葺き2階建て建物に教団マークが掲げられているが、安城分教会と比べるとかなり規模は小さい。しかも横に物干し竿も見え、普通の住宅のような雰囲気である。

安城分教会の正面の建物と後方の施設

敷地後方に2階建て建物と倉庫型施設

市街地裏通りの花ノ木分教会

 宗教学者の島田裕巳によると幕末維新期に新しい宗教が多数誕生し、天理教はその一つであるが、勢力が拡大するのは大正から昭和の時代になってからという。1908年に教派神道として公認され、戦争が起こった時に航空機などを寄付したり、志願兵の応募に積極的に応じたり、満蒙開拓団にも参加、独自の創造神話を封印して、経典も国家神道の体制に迎合するものに改めて布教を展開、信者数を急速に増大していった。

 「戦前において、新宗教のなかでもっとも規模の大きい教団で、その社会的なの影響力も大きかった。また、熱狂的な布教活動を展開したことで、社会からの反発も大きく、さまざまな形で天理教批判がくり広げられた。戦後になると、創価学会などより新しい新宗教の教団の方が活発な布教活動を展開したため、天理教にはさほど注目が集まらなかった。また、厳しい批判も受けなくなった。それだけ、天理教は日本の社会に定着したと言えるが、活力を失うことで将来の発展は見込めない状況にある」(島田裕巳『日本の10大新宗教』)。

 なお、Google検索では安城市内にもう一つ、六ツ美分教会という天理教の教団施設も出てきた。名鉄南桜井駅から2キロほど南下した藤井町西山の小さな集落にあるようだ。ストリートビューに写っている建物は古びた住宅だが、正面の壁に教団マークは付いている。
 

2022年11月16日水曜日

幸福の科学知立安城支部は知立市牛田町に


  宗教2世の素顔を描いたノンフィクションコミック『「神様」のいる家で育ちました』が文藝春秋から発刊され、宗教2世たちが世間とは随分と異なる生活を送っていることが垣間見られる。同作品は集英社のウェブサイトで連載されていたが、第5話のアップ後に宗教団体の抗議を受けて連載中断、そして全話公開停止となった。10月10日、文藝春秋が第6、7話も新たに加えて単行本を発刊した。この第5話は幸福の科学を取り上げたもので、抗議した宗教団体も幸福科学だった(11月5日付朝日新聞読書欄の書評は「某宗教団体」としているが、幸福の科学ウェブサイトには抗議文が掲載されている)。


 幸福の科学は1986年に大川隆法が設立した新宗教で、歴史上の偉人、宗教家などの霊言を集めた出版物による布教スタイルが特徴。2009年には政党の幸福実現党を結成、衆議院選挙に大量の候補者を立てた。「教祖の大川は、東京大学の法学部の出身ということもあり、当初の段階から政治的な発言をくり返していた。その主張は右派的なものだが、移民を容認したり、独自の憲法では大統領制の実現を主張したりするなど、従来の日本の宗教右派とは異なる傾向を示していた」(角川選書の島田裕巳『日本の新宗教』から)。

 安城市に幸福の科学の教団施設はないが、市内に接する知立市牛田町に「安城」の名前も加えた知立安城支部が設置されている。安城市の周辺には刈谷支部、岡崎支部、西尾支部、豊田支部があり、西三河でかなりきめ細かく教団施設を設けているようだ。知立安城支部は名鉄牛田駅の北東部の静かな住宅地にあり、細長い敷地の奥に真っ白い平屋の教団施設を構えている。施設につながる三叉路の角にある空き地の茂みには幸福実現党のポスターが置いてあり、横の住宅には機関誌に連載している教祖の言葉を掲示、住宅地の中にちょっと違和感のある雰囲気を漂わせている。

静かな住宅地のただ中に知立安城支部

支部につながる茂みに幸福実現党ポスター

機関誌の連載の大川隆法のことばを掲示

 なお、『「神様」のいる家で育ちました』の著者の菊池真理子は、母親が熱心な創価学会信者だった宗教2世。第7話は著者自身の子ども時代の生活を振り返り、「あとがき」としてウェブサイトでの連載中止に至ったこと、「うちはホラ何があってもビビらないから」と文藝春秋から声がかかり単行本として復活できたこともコミックで描いている。







 

 

ららぽーと安城のテナント187店舗を先行発表

  三井不動産は安城市大東町に開発中の商業施設名を「三井ショッピングパーク ららぽーと安城」に決定、来年4月に開業すると発表。同時に、全テナント約210店舗中187店舗を先行して明らかにした。敷地面積は3万1900坪で、地上4階建ての店舗棟(3階までが店舗)と3棟の地上6階建て立...