境内末社の秋葉社と津島社 |
2022年4月29日金曜日
北明治稲荷社
2022年4月24日日曜日
安城市制施行70周年企画展「安城太郎満70歳」
5月5日で安城市は市制施行70周年になる。これを記念して安城市歴史博物館では、4月9日から6月26日まで市制施行70周年記念企画展「安城太郎満70歳」を開催している。企画展では、擬人化した「安城太郎」の眼を通して、新聞やポスター、写真などの資料で安城市の移り変わりを紹介している。と言っても、歴史博物館1階の一部を使った小ぢんまりした展示会で、観覧無料、館内撮影自由となっている。ただし、撮影した写真画像はSNSでの使用不可という但し書きがあり、残念ながらこのブログでは掲載はできない。
企画展の案内チラシによると、安城市の始まりは碧海台地に明治用水が通ったことで一大農業生産地となったのことと、東海道本線に安城駅が開業したことが発端。安城駅は農産物の集荷地となり、加えて農業関連施設や製紙工場が進出したことで市街地が形成され、碧海台地上で産業・経済の中心的な地位を獲得したという。昭和27年(1952)5月5日、愛知県で13番目の市として市政が施行された。当時の人口は約3万7千人、面積は39.95k㎡。「その後、3度の合併を経て面積は3.2倍となり、名古屋の衛星都市のという好立地もあって、世帯や人口も増加の一途をたどり、市の財政も大幅に拡大した」。
農業以外の産業として、企画展パンフレットによると戦前から繊維産業が盛んで、1951年には倉敷紡績安城工場が設立、1955年には第3工場が完成し綿紡織業で全国最大の工場となった。このほか、モーター製造の牧田電機(現マキタ)が工場疎開を兼ねて1945年に移転。1960年の工場誘致条例を機に自動車部品製造の豊臣機工、ミシンや編機製造の愛知工業(現アイシン)安城工場、井上護謨工業(現イノアック)などが進出してきたという。
また、高度成長期には大型スーパーの進出も相次ぎ、1973年7月に市役所前にダイエーがオープンした。このほか、西川屋安城センター(のちのユニー駅前店)、新安城プラザ(現アンディ)、サンテラス安城ができ、この4店舗で市内小売販売額の23%になると言われた。ただし、ダイエー(1993年にトポスに転換)は1998年、ユニー駅前店は2003年、サンテラスは2015年にそれぞれ閉店。1996年に開業した西友を中核としたザ・モール安城も2020年に閉店し、イトーヨーカドーのある新安城駅前、アピタ南安城のある桜井町以外は大型商業施設の空白地域となっている。
安城市市制60周年のパンフレットから |
2022年4月21日木曜日
不乗森神社
2022年4月18日月曜日
根崎八幡神社
神社として最も多いのは八幡神社や八幡宮、若宮神社など八幡信仰に関わる神社で、宗教学者島田裕巳氏によるとに全国に7千817社もあるという。明治航空基地の滑走路が走っていた根崎町の根崎八幡神社もその一つで、誉田別命(ほむたわけのみこと=応神天皇)を祭神として、東京・富岡八幡宮の分霊を祀っている。令和4年3月時点で731世帯と東端町より一回り小さい根崎町の旧村社であり、境内には津島社、秋葉社、稲荷社、さらに護国社も並んでいる。
本殿は平成27年1月に市指定有形文化財建造物に指定、文化財解説板も設置されている。それによると、神社の起源は寛永15年(1638)に津島牛頭天王社の分霊を現境内北の山中に小さな祠を建てて祀ったことに始まり、元禄7年(1694)に領主だった松平正基の江戸居所の近くにあった深川八幡(現富岡八幡宮)の分霊を境内内に祀り、津島社も境内に移して根崎村鎮守社・八幡宮としたといわれている。本殿は一間社流造、柿葺(こけらぶき)の建物で、覆殿の中に納められている。建立は寛保4年(1744)ごろで一間社流造の本殿としては市内最古のもの。
境内の面積は1千36坪。公民館・町内会前に鳥居が設けられ、そこから民家の間を通って伸びる舗装された参道の先に境内はある。社殿は傷みが激しかったことから平成19年に造営委員会を設立、本殿改修、覆殿、幣殿、拝殿の建て替え工事に着手、その後、稲荷社、社務所も再建した(平成21年11月の記念碑に記述)。1992年発刊の愛知県神社名鑑によると氏子数は430戸。
町内会の入る公民館前に鳥居と参道 |
平成21年に建て替えられた拝殿 |
2022年4月13日水曜日
東端八剱神社
2022年4月10日日曜日
明治航空基地平面図
2022年4月7日木曜日
明治航空基地
安城市内にかつて飛行場があった。第2次大戦中に急きょ造られ、戦後すぐ関係者に払い下げられて大半が農地に戻されたたため、知っている市民は少ないと思う。油ヶ淵の東側、東端町、根崎町、和泉町にまたがる地域(旧碧海郡)に建設されたもので、名称は「明治航空基地」。東端町の東端公園には終戦50周年を記念して明治航空基地之碑が建てられ、上の写真のような基地の再現図も石板に刻まれている。
市教育委員会作成の歴史の散歩道パンフレットによると、明治航空基地は海軍の基地として昭和18年4月に地元民や学生を動員して建設が始まり、翌年5月から未完成のまま使用され始めた。面積は200haで、最終的には6本の滑走路が造られ、最大時で航空機217機、隊員総数4千78人が所属していたという。昭和20年3月に全国の飛行隊は鹿児島県内の基地に集結、沖縄近海の米艦船への攻撃を開始したが、大半の航空機を失った。6-7月になると、基地は米航空隊の空襲を受けるようになったが、本土決戦に備えて迎撃には参加せず、機体を掩体壕(えんたいごう)に隠し、隊員は防空壕に避難する状態が続き、終戦を迎えた。
現在、残存している基地関係の施設は、燃弾庫(ねんだんこ)、弾薬庫、防空壕、非常用発電施設、油蒸留場跡。基地本部のあった木造兵舎は東端町・明祥中学校の校舎として昭和60年まで使用され、その後取り壊された。燃弾庫はドラム缶に入った航空機用燃料や弾薬を空襲から守るための施設で、その一つは東端町の老人ホーム敷地内に残されている。また、同じ東端町にある弾薬庫の一つは、屋根を付けて現在も倉庫として利用されている。非常用発電装置はアーチ型ドーム形状で、内部は奥行14m、幅5m、高さ4mあり、空爆に耐える頑丈なつくりとなっているが、現在は中に入ることができない。
東端公園の明治航空基地之碑 |
老人ホーム内の燃弾庫 |
畑の中にある燃弾庫 |
農地と住宅に挟まれたレンガ造りの弾薬庫 |
レンガ造りの油蒸留場跡 |
根崎町から東端町にかけて4本の滑走路があった |
2022年4月4日月曜日
櫻井神社
境内社の弁財天 |
境内社隣にある薬師堂 |
黒松の参道 |
2022年4月2日土曜日
御朱印集めに対応する安城の神社は ?
ららぽーと安城のテナント187店舗を先行発表
三井不動産は安城市大東町に開発中の商業施設名を「三井ショッピングパーク ららぽーと安城」に決定、来年4月に開業すると発表。同時に、全テナント約210店舗中187店舗を先行して明らかにした。敷地面積は3万1900坪で、地上4階建ての店舗棟(3階までが店舗)と3棟の地上6階建て立...
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3月16日の夕方、東京在住の友人から「テレビで安城市の立てこもり事件を放映していた」と連絡をもらった。愛知のローカルニュースではなく、全国ニュースで安城市が取り上げられたということだった。2時間弱で事件は解決したが、やはり立てこもり事件は滅多に起きない重大事件と見做されるよう...
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