8月時点のザ・モール跡地 |
12月にはザ・モールの建物が全て撤去 |
8月時点のザ・モール跡地 |
12月にはザ・モールの建物が全て撤去 |
町内会は地域のまとまりのため日中戦争以降に整備されたもので、1940年9月に内務省訓令によって村に部落会、町に町内会をつくり、その下に隣組を置くことが決定した。戦後、GHQが軍国主義的な制度の末端行政事務を担う機関として活動を禁止、存続を図る内務省との対立もあったが、1947年4月に廃止された。しかし、その後も形を変えて生き残り、1952年のサンフランシスコ講和条約締結によって町内会廃止令が解除され、地域組織として町内会は復活した。「万民翼賛」を図る隣組は1組10人程度でつくられ、回覧板と常会を通じて日々の生活に関わったという(国立公文書館のアジア歴史資料センター)。回覧板を使った情報伝達など、現在活動する安城市内の町内会の組・班と、戦前の町内会の隣組とあまり変わっていない気もする。
2018年発刊の『新編安城市史』の第4巻通史編現代には、町内会廃止令に伴って「住民組合」と名称を変えて活動を続け、1962年4月に町内会が正式に復活する経緯について詳述している。戦後発足した住民組合については、「民主主義を基本として組織され、町内会廃止令後、旧町内会を単位として組織された。しかし、今まで通り戦前の町内会の範囲と住民が基本的な構成であり、その下部組織として、これも戦前からの組が基本的な形であった」(通史編現代、第2章地域の論理・第2節住民組合の運営)と書いている。民主主義を基本とするため組合の加入・脱退は自由で、強制加入だった戦前の町内会とは違った。
市内の町村合併が進んだ1958年、住民組合制度に関する答申が行われた。特に問題となったのは、「地域ぐるみ」の体質を持つ農村部の住民組合。「固定化した役員によって封建的な相互関係を形成して、選挙その他重要な問題に対しては組合が主導権を握り、ますます地域根性を強化させている」。工場誘致で増加した勤労者からは、「従来の住民組合の非民主的運営と強制的な住民組合費の徴収が過重負担であるなど二重行政撤廃を市へ要求している」現状が示された。1962年2月、市長が62年度重点政策として住民組合制度改善を取り上げ、1)住民組合を廃して町内会とすること 2)消防署の充実と消防分団の統合整理で税外負担の解消 3)市役所の合理化、事務機械の導入で余剰人員を適正配置して住民組合の委託事務軽減などを挙げた。
この時に住民組合の問題点となっていたのは、1) 事務量の増加により経済的余裕のある者に役員が限定され、運営の合理化や改善意欲が沈滞、農村部の持つ封建性温存のために地方自治の民主化を停滞させている 2) 組合費の徴収に受益者負担の原則が比較的軽視されている 3) 地域根性の強化が住民組合間の対立をあおり、市事業も総花的になって重点施策が事実上不能となっている 4) 市議会議員の住民組合の推薦がなければ当選が困難である 5) 法定外の地元負担金・寄付金などの規定は地域不均衡を生じるとともに、一方的な立替工事の実施を増大させ、民主制度を悪用した圧力団体に変じてこの支出を要求し、市財政計画を破綻させる原因となっている。それら課題については、住民組合が持つ根強い封建制と慣習と共に、安城市が「住民の便宜という美名にかくれて、必要以上に住民組合を利用したことが最大の原因」としている。
しかし、その後財政再建が4年度間のところ61年度で終了、「住民組合の改革手順は徹底して行われることなく、根本的な問題の解消をせずに、いわゆる高度経済成長期の好景気の中に放置されていったのである」。特に農村部の町内会は封建性を温存した体制が現在も残っている。町内会費と別に同額かそれ以上の組費(ブロック費)の徴収を行なっているところもあり、移転してきた住民が戸惑うようだ。また、市議会議員については住民組合の問題点が今も解消されておらず、町内会の推薦がないと現役議員でも出馬できないような状況が出ている。
大正時代、農村経済の発展のため産業組合が全国で組織され、昭和7年には安城地域で26組合を数えたという。安城村の東組合だった東尾地区の産業組合は、大正6年に安城東尾信用販売購買組合として発足、戦後の改革で東尾農業協同組合となった(昭和38年に合併で安城市農業協同組合の支所に)。産業組合の関連施設は農業倉庫、事務所、共同利用工場の三つの建物から成り、最も古いのは事務所で大正13年の建造という。いずれも現在使われており、特に事務所は東尾町内会事務所、東尾公民館として日常的に活用されている。
安城市ウエブサイトでは歴史的建造物の紹介ページがあり、市内の産業組合について説明、残存している旧産業組合関連施設を紹介している。説明文によると、各産業組合は事務所、農業倉庫などを建設し、組合員に物品の共同購買・販売事業や預貯金・融資といった信用事業などを行っていた。戦時体制下では政府が食料統制のために制定した米殻配給統制法の統治機関として、米の集荷・配給の役割を担った。農業倉庫は米殻の保管・販売業務と検査を行うために設置されたもので、貯蔵室が2または3室連結された規格性の高い建物。かつては各町内のほとんどに建てられていたが、今では数えるほどしか残っていない。
木造平屋建て瓦葺き土蔵造りの農業倉庫 |
木造平屋建て瓦葺きの旧共同利用工場 |
旧東尾産業組合の農業倉庫は5間×5間(1間=1.818m)の大きさの貯蔵室2室からなる土蔵形式で、倉庫の東側には下屋庇をさしかけて2間の前室を設けている。昭和10年に建造されたが、三河地震で損傷したため27年に修理を行っているという。中日新聞では2020年12月に「三河名建築」シリーズで同農業倉庫を掲載。現在、祭礼のしめ縄用に使う麦わらを保管しているが、老朽化が進んでいるのでどう保存するかが課題と東尾町内会役員のコメントを取り上げている。
倉庫の反対側には旧共同利用工場があり、その南側に木造二階建ての旧事務所がある。旧共同利用工場は精米・脱穀・肥料の粉砕などの作業や集荷・荷造りなど共同で行う作業をするための施設で、現在は床を張って町内会集会場として利用されている。事務所はもともと道路沿いに建っていたが、昭和54年に東に曳いて現在の場所に移動したという。このように組合事務所、農業倉庫、共同利用工場の全ての建物が現存しているのは東尾だけと、安城市ではウェブサイトで説明している。
木造2階建て瓦葺き、寄棟造の事務所 |
なお、安城町の東側が東尾町内会、西側が西尾町内会の区域だが、字名の前に東尾や西尾の名称は入っていないので、地図を見ても境界がはっきり分からない。安城城址のある安城町城堀、その北の同拝木よりも東側が東尾町内会の区域だが、城堀の八幡社は東尾の氏神神社であり、周辺は東尾に入るという。また、拝木の中には東尾町内会に入っているところもあり、境界線がきちんと引かれているわけではないようだ。
広大な敷地には本殿を中心に様々な建物が並ぶ |
入り口にある案内板と鐘楼 |
前面に人工芝を敷き詰めた信徒会館 |
信徒会館前にある立体駐車場 |
横の通りから見たようぼく修練場 |
神道系の天理教は戦前、新宗教の中で最も規模の大きい教団だったが、戦後に創価学会の台頭によって陰が薄くなった。それでも現在も創価学会に次ぐ勢力を持ち、本部直属の大教会と下部組織の分教会で構成される教会は全国に1万以上ある。西三河にも分教会がたくさん存在し、安城市には福釜町の安城分教会と御幸本町の花ノ木分教会と2つあることをすでにレポートした(こんなにある安城市内の新宗教教団施設3)。さらにもう一つ、Googleで六ツ美分教会という教団施設も検索できたことにも触れたが、この施設の存在を現地に行って確認した。
天理教六ツ美分教会は名鉄米津駅から1.6キロほど東に行った、鹿乗川の南にある藤井町西山という小さな集落にある。この畑に囲まれた小さな集落の一角、瓦葺きの入母屋木造住宅に天理教のマークが付いている。どう見ても民家であるが、玄関横に掲示してある文字のほとんど擦り切れた木の板と白壁に付いているマークで、ここが天理教の分教会ということがなんとなく分かる。家の前には数台の車が停められる駐車場がある。
天理教の分教会は独立採算制で自前運営していく必要があるという。「設立当初は信者数も資金もないため会長の自宅が神殿を兼ねる。その後、信者数が増加し、自宅に入りきらなくなると、資金的な余裕も出て、信者の寄進を募り、敷地を購入し、独立した教会を建設する。その際、信者が土地を献納したり、大工の信者が建築を行う。しかし、さらに信者が増えると、より広い土地を求めて移転したり、周囲の敷地を買う。これを繰り返す」と五十嵐太郎著『新偏新宗教と巨大建築』は記述。同書は地方教会の外観について、「入母屋の屋根の妻側に入母屋の玄関をつけたものだ。正面性を強調する善光寺型の屋根といえよう」と書いている。
民家のような建物の六ツ美分教会 |
いかにも天理教らしい造りの玄関 |
分教会の「六ツ美」の名称はかつて矢作川の東側にあった碧海郡六ツ美村(町)から取ったものと考えられる。同村は岡崎市に吸収合併されているようだが、岡崎市からかなり離れ、西尾市に接する藤井町西山地区は安城市に編入されたかもしれない。
この六ツ美分教会はもちろん、花ノ木分教会、ちょっと規模の大きい安城分教会も、民家と間違えそうな建物の造りだが、 すぐ隣の高浜市芳川町に位置する高浜分教会は木造の重厚な造りの建物である。敷地の奥には広い駐車場も備えていることから、信者数が安城市の3分教会よりも相当多いのではないかと想像される。
壮麗な入母屋造りの高浜分教会 |
カナダから寄贈されたカヌーと熊のアート |
北米が原産地のアメリカフウも |
駅前に市内の観光地を紹介するパネル |
在来線の駅はちょっと離れた場所に |
商店のほとんどない三河安城駅周辺 |
三井不動産は安城市大東町に開発中の商業施設名を「三井ショッピングパーク ららぽーと安城」に決定、来年4月に開業すると発表。同時に、全テナント約210店舗中187店舗を先行して明らかにした。敷地面積は3万1900坪で、地上4階建ての店舗棟(3階までが店舗)と3棟の地上6階建て立...