2022年8月30日火曜日

安城城址西の安城古城址


 安城町社口堂の舌状台地の端に位置し、安城城が築かれるまで地頭の居館として使われたという安城古城址。安城城址から西へ歩いて約10分、名鉄西尾線のすぐ西にある竹藪に続く林にあり、現在は「社口社」という小さな神社が祀られている。安城市教育委員会の案内板がなければ、城址とは誰も気づかないほどの小さな林である。すぐ隣は子ども向け遊具が置いてある公園で、どことなくのどかな雰囲気も漂っている。

 案内板によると、平安時代には志貴庄(しきのしょう)の荘館があったという説があるが、詳しくは分かっていない。鎌倉時代には地頭の館となり、安藤氏が居館とした。室町時代は和田氏5代の本拠地となり、1438年(永享10)の永享の乱後、安城城を築城し移転したため、廃されるに至ったという説があるという。「1540年(天文9)、織田勢が安城城を攻めたとき、松平側はここを前線基地のひとつとして兵をいれて戦ったとも伝えられています」。

社口社の鳥居の横にある案内板

鳥居は新しく上の狛犬も新しい社口社
竹藪の隣の林が古城址

 安城市の指定史跡であり、市によると東方向に突き出した舌状台地の端に位置し、全体として周囲の低地から民家1階分以上の差のある高みとなっており、要害になりうる場所という。城郭ではなく、安城城より古い居城ということで「古城」と呼ばれている。要するに城址と言えるほどの遺跡は残っておらず、あまりはっきりしたことが分からない場所になってしまっているようだ。

 高台にある社口社についても宗教法人としての登録はなく、地域で祀っている旧村社ではないようだ。近隣の住民が集まって祀っているのか、新しく造営した鳥居、狛犬を寄進している一家が祀っているのかよく分からない。



 

2022年8月25日木曜日

愛知県で積極活用のマイハーシス


 愛知県では今、新型コロナ感染症陽性者に対して厚生労働省のツール「マイハーシス(MY HER-SYS)」による健康観察を積極的に推進しているが、なぜかテレビニュースや新聞報道ではほとんど取り上げられてない。愛知県では従来、新型コロナ陽性者に保健所が電話で行っていた発生届受理後の連絡を6月1日から「愛知県自宅療養者サービス窓口」からのSMSを使った案内に変更。同時に、重症者リスクの低い陽性者で自宅療養中の人には、健康観察をスマートホンやパソコンを使って行うマイハーシスで行うようになった。

 マイハーシスは、体温、血中酸素飽和度、体調など健康状態を都合の良い時間帯にスマートホンなどで入力、チェックできるもので、陽性者は一日中、保健所からの電話を待つわずわらしさがなくなる。また、医療機関や保健所はシステム画面で陽性者の入力した情報を把握できる。ただし、システム画面を常時見ている専門家は設置されていないようで、症状が悪化した場合は電話連絡を求めている。

 医者、保健所の負担を増大されていたと言われる厚生労働省のハーシスに代わるシステムがマイハーシスになるが、果たして全国的規模で導入が進んでいるのかよく分からない。愛知県では陽性者になると毎日のようにSMSでマイハーシスの導入・活用を呼び掛けられるので、かなり活用が進んでいるものとみられる。毎日新聞では3月12日付ウェブニュースで、「自宅療養者向けシステム『マイハーシス』の活用進まず」の記事を掲載した。しかし、その後どうなっているか詳しく新聞報道されていないような気がする


 〈3月12日付毎日新聞ウェブニュースは次のように書いている。〉
 新型コロナウィルスの自宅療養者がスマートフォンに必要事項を入力して健康状態を報告する「マイハーシス」の活用が進んでいない。自宅療養者の健康観察業務に追われる保健所の負担軽減を目的に国が開発したが、使い勝手の悪さのから従来の電話による健康観察に戻す自治体もあり、利用率は4割程度にとどまっている。感染者の氏名や生年月日、基礎疾患の有無などの情報は政府の感染者情報管理システム「ハーシス」で管理され、医療機関や保健所などが共有できるようになっている。マスハーシスはハーシスに登録された感染者が自宅療養中に毎日の体温や血中酸素飽和度、息苦しさなどを十数項目を入力すると情報が保健所に届くシステムだ。
 (記事では使い勝手の悪さと書いているが、使い勝手が悪いのはどういう点か書いていないのは問題だ。また、ハーシスで管理していると書いてある氏名、生年月日なども、愛知県のマイハーシスでは陽性者が記入するようにしている。最も使いづらいと感じたのは、初期設定段階で確認コードが電子メールで送られ、これを入力する場合、スマホとは別にパソコンでメールを受け、確認コードを知る必要がある点。あとは毎日新聞の書いているほど使い勝手は良くないと個人的には思う。)

2022年8月24日水曜日

コロナ感染療養者への愛知県のサービス


 新型コロナウイルスに感染すると、医者に申し出た携帯電話にSMSで連絡が入り、厚生労働省のマイハーシス(My HER-SYS)を使って患者自身による健康観察が求められると共に、愛知県が実施している各種サービスを無料で受けられる。この各種サービスの内容を見るとちょっと手厚すぎるという声も出そうだが、外出が禁止されている患者にとってはやはりこういったサービスは必要不可欠とも言える。

 愛知県が行っているサービスは、パルスオキシメーター貸し出し、配食サービス、宿泊療養、療養証明書の発行(マスハーシスでは即時表示が可能)。利用はもちろん、陽性判定日の翌日からとなる。パルスオキシメーターは、血液中の酸素飽和度を測る機器で、呼吸によって体に酸素が十分に取り込めているかどうかを測り、呼吸器症状の目安を掴める。マイハーシスの検査項目には体温と酸素飽和度があり、健康観察にはパルスオキシメーターが必要になる。

パルスオキシメーター貸出サービス

 配食サービスは、お弁当コースとレトルトコースがある。お弁当コースはパン、弁当など3食を箱に詰めて毎日宅配便で配送するサービスで、レトルトコースはレトルト食品、カップ麺、麦茶など8日間分(1日3食分)を配送するサービス。配食サービスの申し込みページを見ると、なぜかレトルトコースの方へ申し込みが殺到しているという。個人的には、レトルトコースよりお弁当コースの方が普通の食事が取れるような気がするが。

 また、宿泊療養施設は名古屋エリアが6ホテル、西三河エリアが2ホテル、東三河が3ホテル提供している。西三河は東横イン三河安城駅新幹線南口2とホテルルートイン知立。自宅から宿泊療養施設への移動手段は県の手配する専用搬送車に限っており、徒歩や自家用車で移動するのはできない。感性者数が増大していることもあって、希望通りのエリアで宿泊療養できるかどうかははっきり分からないと電話担当者は語っている。
 
レトルトコースには野菜ジュースも

 

 

2022年8月21日日曜日

割引クーポン付の安城グルメガイド

 

 知らない安城市民も多いと思うが、レストランやカフェで安城観光協会発行の『安城グルメガイド100選』を利用する女性客をちらほら見かける。このグルメガイドは単に市内のレストランやカフェを掲載しているだけでなく、それぞれの掲載店で利用できる割引クーポンが付いているのが特徴。たとえば1ドリンクサービスとか、10%オフ、100円引き、食後のデザート、コーヒーサービスなど、様々な特典を記載したクーポンが付いている。ちょっと特典内容はせこい気もするが、グルメガイドが有料配布ではなく無料配布されているものなので、何となく納得してしまう。

 無料配布している場所は、掲載店と安城市観光協会KEYPORT、安城市役所商工課、アンフォーレ、デンパークなど。先日食事した歴史博物館内のカフェでは、レジカウンターに複数冊置いてあった。グルメガイド掲載店は、和食、洋食、中華・ラーメン、多国籍、焼肉・鉄板焼き、居酒屋・バー、カフェ・喫茶、スイーツ・パンの8ジャンルに分けて100店舗を掲載。それぞれの店舗で自慢のメニューをカラー写真で紹介すると共に、所在地、電話番号、特典を記載したクーポンを付けている。

 また、グルメガイドには「安城市グルメガイドスタンプラリー」応募ハガキも添付されている。このスタンプラリーは、各掲載店に行ってスタンプを押してもらい、3個でC賞、6個でB賞、10個でA賞に応募できるというもの。A賞は安城市おみやげセット(5000円相当)25セット。スタンプラリーは専用のアプリでも集めて、応募することができる。グルメガイドの使用期限は来年3月31日までとなっており、もし冊子を手にしてみたいと思うなら在庫切れになる前に入手しておく必要がある。



 

2022年8月19日金曜日

コロナに感染しました。


 8月18日、発熱して体だるくなったので体温計で確信したら「38.5度」と出た。近くの医院でコロナの検査をやっているので、電話してドライブスルー方式で抗原検査を受けた。1、2分で結果が出て、「陽性」と判定された。医師からは「明日から10日間自宅療養で、濃厚接触者の家族は5日間の隔離です」と、通告された。振り返ってみると、14日の日曜日に東京から昔の仕事関係の知り合いがやってきたので、不安を感じて「感染対策をちゃんとやっているよね」と確認したが、「大丈夫」という回答だったので、歴史博物館やパンのトラ安城店に案内してしまった。この男、前日には名古屋で開かれたアイドルグループのファンの集いに出席しており、感染源としては最も怪しいと思っている。

 感染した時は「マイハーシス」に登録しましょうと、翌日の朝厚生労働省からショートメールで案内が来た。非常に素早く対応と感心してしまったが、入力の仕方がなかなか面倒である。特に戸惑ってしまったのは「ハーシスID」を入力する項目。どこにあるのか探してしまったが、ショートメールに小さく表示されていた。これ以上に問題だったのは、健康観察で「体温」と「酸素飽和度」の記載項目。パルスオキシメーターを持っていないので酸素飽和度は測定できないので、取り敢えず適当な数字を入れてみた(その後の健康観察の入力では体温の入力だけで済ますことができた)。

 国会では今、ハーシスの入力が医療機関を圧迫しているので、全数把握はやめようと議論が起きている。しかし、私が厚生省からショートメールで入力を依頼されたマイハーシスでは全て患者が入力するわけで、何ら医者に負担をかけていない気もする。住所や年齢なども全て患者自らが入力しなければいけない。国会討論で議論の的になっているハーシスとは一体何なのか ? マイハーシスの存在はどうなっているのか ?  厚生労働省の皆さん、マイハーシスの存在を国会議員にもしっかり認知してもらい、もっと現実に添った議論を国会ではしてもらいたいと思う。

 

2022年8月17日水曜日

朝日新聞大浜騒動記事に大谷派の名称なし

 


 8月17日付の朝日新聞朝刊三河版で、西尾市岩瀬文庫で開催中の「大浜騒動」がトップ記事として掲載された。岩瀬文庫の特別展「三河大浜騒動150年」は5月14日から開かれ、7月2日から展示内容を一部入れ替え後期の展示会に入った。後期展示会は8月31日までで、新聞に掲載するのはかなり遅いと言える。しかし、新聞社の取材ということから一般来場者は撮影禁止の農民が騒動の時に使った竹槍、首謀者として処刑された時に石川台嶺が着ていた血染めの白衣なども掲載され、岩瀬文庫長のインタビューも掲載されるなど、資料をなぞっただけの「安城市の不思議ブログ」とは違って掘り下げた内容の記事となっている。

 ただし、この記事には大きな勘違いがある。見出しに「廃仏毀釈の動きに反発、浄土真宗門徒らが役人殺害」とあり、前文にも「近代化を推し進める明治政府のもと、地元の役人が寺院の統廃合を発令。反発した浄土真宗門徒らが集まり、役人を殺害する事態に発展した」と書いてある。騒動の中心となった三河護法会は、東本願寺における学問の場として学寮に設置された護法場で学んだ僧侶が明治2年に設立したもので、会員はに200人を超えたという。つまり、朝日新聞の書いている「西三河に多い真宗寺院の僧侶や門徒ら」ではなく、正確には「真宗大谷派(東本願寺派)」である。揚げ足取りとか言われるかもしれないが、徳川家康が東本願寺を造り、浄土真宗は東本願寺と西本願寺に分かれた。戦国期の三河一向一揆なら「浄土真宗」と記載せざるを得ないが、安土桃山時代から浄土真宗は2派にはっきり分かれている。

 しかも、西三河地方は真宗大谷派の寺院がほとんどの町にあると思うほど数多く存在、これに対して本願寺派(西本願寺派)の寺院はわずかしかない。大谷派は合計363寺院あり、岡崎市に90、豊田市に88、西尾市に81、安城市に32、碧南市に19、刈谷市に18ある。これに対して、本願寺派は47寺院しかなく、岡崎市に21、西尾市に10、碧南市に7あるが、安城市、刈谷市、高浜市にはわずらか1寺院ずつしかない。大浜騒動には大谷派の行動派僧侶約30人を中心に最終的に門徒など約3千人が集まったが、西三河では少数派だった本願寺派の僧侶、門徒はひとりもいなかった。




2022年8月16日火曜日

安城城址(安祥城址)


 安城市歴史博物館の隣は、戦国時代に織田信秀(織田信長の父)と松平広忠(徳川家康の父)が激しい争奪戦を繰り広げた舞台の安城城址。本丸跡には江戸時代の寛政4年(1792)に浄土宗の大乗寺が建てられ、安城4代城主(親忠、長忠、信忠、清康)の位牌が安置されている。二の丸跡には松平親忠が創建した東尾八幡社が建っており、本丸跡の大乗寺と合わせて城址の雰囲気はあまり感じられない。桶狭間の戦い後に廃城となったが、城のあった当時は周りの沼地が自然の堀となり、出入り口は北側だけだったという。

 安城城が築城された年代は明らかでないという。市教育委員会の案内板によると、文明年間(1469-87、有力なのは文明8年)に岩津城(岡崎)の松平信光が奪い取り、以後、信光の子親忠が城主となり、4代の清康(徳川家康の祖父)が岡崎に移るまで、松平の総領家となっていた。天保9-18年(1540-49)の安城合戦では、織田信秀と松平広忠の間で3度にわたって城を奪い合ったという。「今日、私たちが目にしている安城城は、天正12年(1584)の小牧・長久手の戦いに備え、徳川勢によって、当時の新しい縄張り(城を構成する区画である曲輪や塀、土塁の配置)への改修が加えられた姿と考えられる」。
本丸跡には浄土宗の大乗寺が建つ

本多忠高(忠勝の父)の大亀の墓碑

 案内板の安城縄張り図では、曲輪A(現大乗寺)を中心に複数の曲線が配され、周囲を塀と土塁が囲んでいる。特に八幡社との間の堀は、内部が複数に区画される障子堀となっていた。Aの北東にはC、D、Eの3つの曲輪が組み合わされ、北から容易に侵入できない工夫がされていた。Aの南端とCの東端にはそれぞれ櫓(やぐら)が設けられていたが、現在、Aの櫓跡は高台となり、Cの櫓跡には祠が置かれ、痕跡を確認できるという。また、大乗寺境内には安城合戦で松平軍の主将として戦死した本多忠高(忠勝の父)の大亀の墓碑がある。

 三の丸跡に建っている東尾八幡社は、1479年に安城城主となった松平親忠が城中に創建、鎮守の神として崇めたもの。由緒略記の石板によると廃城後は東尾一村の氏神となり、領主などからも崇敬された。明治5年に村社に列し、終戦後は神社本庁所属の宗教法人となった。平成8年に社殿、社務所、境内社が再建された。境内社は秋葉社と神明社の2社ある。氏子数はわずか151戸と記されている。

二の丸跡に建つ東尾八幡社
平成3年に開館した安城市歴史博物館

 なお、現在使われている「安祥城」の名称は江戸時代から使用されるようになったが、城として存在した時期は「安城城」の名称だったという(安城の史跡めぐりリーフレット)。



 

2022年8月11日木曜日

「ららぽーと安城」開発状況 ?

解体工事が始まっているザ・モール跡の建物(6月)

  8月1日発行の「あんじょう市議会だより第56号」で市議会議員の一般質問とその回答が掲載されているが、その中に大東町の商業施設「ザ・モール安城店」跡地の開発状況についての質問があった。質問は「大東町地内で開発行為の認可を出した大型商業施設の出店計画と前施設の解体状況は」。それに対する回答は、「出店計画等は三井不動産から詳細な情報は得ていない。前施設の解体完了は令和5年6月末と聞いている」。

 三井不動産の開発計画は3月9日の中日新聞ウェブが報道。「開発計画は十万五千平方メートルで、ザ・モール安城店の六万平方メートルを上回る。店舗棟一棟、別棟一棟、立体駐車場三棟を予定している。延べ床面積は計十三万五千平方メートル」と市の発表を書き、開業時期は未発表と説明した。市に質問した安城創生会寺沢市議は「東郷町や名古屋市港区にある類似の商業施設(ららぽーと)の調査に行ったが、計画ではそれを上回る規模になる」とコメント。渋滞など市民生活に与える影響を指摘し、受動的ではない都市計画を要望したという。

 今回の市議会だよりによると、解体工事は来年6月に完了するが、「ららぽーと」と考えられる商業施設の建設計画は未定で、来年夏に着工しても完成はその2年後くらいになると予想される。2020年9月にオープンした「ららぽーと愛知東郷」は、2019年3月に着工したことから約1年半の建築期間だった。安城の場合は街の中心部近くに立地、道路が狭いことからその拡張なども必要で、愛知東郷店より準備期間を要するとみられる。

フェンスに覆われた8月のザ・モール跡
フェンスに貼り出してある解体撤去工事概要

 現在、ザ・モール安城跡の建物群はフェンスに覆われて、内部がどうなっているかよく見えない。貼り出してある解体作業に関するお知らせによると、解体工事期間は今年6月20日から来年6月30日まで。ザ・モールのほか、隣の倉敷紡績安城1工場も解体撤去する。工事の注文者は倉敷紡績で、工事の元請業者は熊谷組名古屋支社。石綿が一部使用されているとその箇所も記載している。

 なお、三井不動産は4月25日に九州初の「ららぽーと福岡」をオープン、11月には関西エリア4番目の「ららぽーと堺」を開業する。福岡のテナント数は222店舗、堺のテナント数は210店舗。さらに来年春には、大阪・門真に「ららぽーと」と「三井アウトレットパーク」の初の複合型施設が開業する計画。

入口がフェンスに覆われた倉敷紡績の工場
6月までは入口があった倉敷紡績の工場







 


 

2022年8月9日火曜日

安城発祥『甘ひびき』、ブランド梨へ


 安城市が発祥の『甘ひびき』、糖度が高く美味しいと評判の梨をブランド梨に押し上げたい⏤。安城市では行政や地域が抱える課題を、スタートアップと市職員が協働で解決する「アーバンイノベーション安城」に取り組むことになり、8月5日に事業者向けのオンライン説明会を開催した。課題は4件で、応募の締切日は8月21日。4件の課題の一つが甘ひびきのブランド化で、他産地での生産が拡大する中で発祥の地としてのブランド確立が農業の盛り上げにも繋がるとして多数の課題解決策の応募を呼びかけている。

でんまぁとの甘ひびき販売は13日が最後

 発表資料によると、安城市で生産される農産物の中でも代表する特産品として「安城梨」があり、生産される品種は6種類あり、甘ひびきは市内の梨農家が品種改良したもの。糖度が高くて甘いことが特徴で、さらに生産数が少なく出荷時期も限定されることから、巷では幻の梨とも呼ばれている。しかし、品種登録から10年経って苗木が全国に広がり、元祖のブランド価値が薄れてしまうという危機感が生産者の間で募っている。対策がいろいろ話し合われたが、どのようにPRしたらいいのか、ブランド化に関する決め手がなく、苦慮している状況という。

 JAあいち中央梨部会では7月下旬に甘ひびきの出荷を開始したが、今年の出荷量は15.2トン
の予定。でんまぁと刈谷南、安城西部、安城北部、道の駅デンパーク安城の4店舗を中心に販売。大玉で糖度が高く、産地発祥の品種であることから、地域の人気の贈答品となっており、2017年からは安城市のふるさと納税制度の返礼品になっている。

 なお、安城市の農業従事者は平成7年が7464人で、同27年が3063人。20年間で半分以下に減少しているが、特に梨農家の担い手不足は深刻な課題となっている。JAあいち中央梨部会によると部会員はわずか83人で、このうち甘ひびき栽培農家は49人。市内の農業従事者が減少しているのは地域に住んでいるとよく理解できるが、それにしてもこれほど少なくなっているとは驚きだ。周りを見ると水田の稲作はほとんどすべて営農組合に委託しており、小さな畑で趣味程度の野菜作りしかしていない家が大半である。

福釜町にあるでんまぁと安城西部店
8月10日に販売されていた安城梨は幸水だった




 

2022年8月7日日曜日

安城七夕まつり2日目


 8月6日の土曜日、2日目に入った安城七夕まつりは親子連れなど見物客が次々と来場し、佳境となった。ただし、竹飾りが並んでいるのは歩行者天国の駅前通りに限られていることから、歩行者天国を外れると所々に七夕飾りが施してあるだけで、通常期とあまり変わらない静かな雰囲気の商店街が続いていた。また、同日夜は3年ぶりに「岡崎花火大会」が開催され、そちらの方に見学に出かけた安城市民も多かったようだ。

 なお、安城七夕まつりは「日本三大七夕まつり」の一つと称していた時代もあったが、現在、三大七夕まつりと呼ばれているのは「仙台七夕まつり」、「湘南ひらつか七夕まつり」、「一宮七夕まつり」。仙台七夕まつりは、安城七夕まつりとは1日遅れの8月6日から8日まで開かれている。ウェブサイトで詳しく人出状況が発表されており、初日の6日は84万8000人と報告、安城七夕まつりとは段違いの人出となっているようだ。












 

2022年8月6日土曜日

3年ぶりの安城七夕まつり


  5日から7日までの3日間、JR安城駅前で3年ぶりに「安城七夕まつり」が開催されている。コロナ禍ということから歩行者天国エリアを従来の約2.5kmから約350mに圧縮、同エリア内の露店出店をなくし、食べ歩きも禁止しての開催となり、かつて「日本三大七夕まつり」とアピールしていた時代とはほど遠いこじんまりした七夕まつりとなった。

 5日午前10時半ごろに見学に行ったが、歩行者天国となった安城駅前通りは前夜から作業ができなかったためか、工事車両が残っている状態だった。碧海信用金庫本店前まで一同に集まる予定の竹飾りが一部準備中で、まだ来場者も三々午後といった雰囲気だった。もう一つの歩行者天国エリアとなるDENCITY南も準備中だったが、巨大な公式キャラクター「きーぼー」は設置済みで、記念撮影している見学客もちらほらいた。

初日午前中は作業車も残って追い込み準備
巨大なきーぼーが設置された通り

 6日中日新聞朝刊を見たら、歩行者天国の竹飾りは隙間なくぎっしり並んでおり、ちょっと撮影テクニックを使いすぎとも感じた。(6日昼のNHKローカルニュースで放映された映像は、隙間のかなり開いた竹飾りが並んでいたので、ここの掲載した写真画像とあまり変わらない感じだった。)歩行者天国エリア外の商店街は、アンフォーレ前の御幸商店街も七夕飾りがなく通常とほとんど変わらない様子だった。七夕まつりのリーフレットによると、駅前の7商店街の飾りは駅前通りに集中させたという。ちょっと離れた場所にあるアーケードのある朝日町商店街では、所々で七夕飾りを付けている商店も見られた。

 そういった中、人気を集めていたのはアンフォーレの広場に設置された「願いごと短冊」。キャラクターのきーぼーを大きくあしらった短冊に子どもたちの願いが書き込まれ、その短冊が約3万枚、保育園、幼稚園、小学校、中学校などの学校ごとにずらり並べられた。従来はトンネル型の「短冊ロード」を作って陳列していたというが、今年はエリアごとのゆとりを持った陳列に切り替えた。コロナの影響が短冊展示にも現れたようだが、それでも自分の短冊を探す子どももおり、家族連れには人気のイベントとなっていた。

「願いごと短冊」が並んだ広場
短冊がずらり
少し七夕飾りが見えた朝日町商店街







2022年8月2日火曜日

知立市議選で全員無投票当選


 丸善が出店している商業施設「ギャラリエアピタ知立」に立ち寄ったが、その横の車道沿いに知立市議会議員の選挙ポスター掲示板があった。ところが、8月7日執行と書いてある選挙は何と無投票となり、7月31日の公示と共に当選者が決定したという。

 中日新聞デジタル版の7月31日付ニュースによると、同日の公示で定数と同じ20人が立候補を届け出て、無投票で全員の当選が決まった。20人は現職12人、新人7、元職1人。また、無所属が16人で、共産党、公明党が各2人という構成で、女性は2人だった。ヤフーニュースでは任期は4年で、議員報酬は月額37万4625円(2020年時点)としている。

 ギャラリエアピタ横の掲示板には18人のポスターが掲示されているが、ここにポスターを掲示していない2人ももちろん当選した。ポスターの写真撮影・印刷、宣伝カーなどの経費をかけなくても、立候補すれば当選できたわけである。選挙ドットコムの岡崎市議のブログでは、「おめでとうございます! と言って良いものか、、とちょっと考えてしまいます。なぜ、無投票なのか? このお役に魅力がないのだろうか?」と、率直な意見を書き込んでいる。

2022年8月1日月曜日

大浜騒動の騒乱地鷲塚(碧南)

 

 西尾市岩瀬文庫の特別展「三河大浜騒動150年」は7月2日から後期の展示が始まった(8月31日で終了)。大浜騒動は鷲塚(わしづか)騒動、菊間藩事件とも言われ、三河の浄土真宗門徒と神道国教化政策を推進する菊間藩大浜出張所との話し合いが決裂、今の碧南市鷲塚町にあった庄屋片山邸が襲撃された。片山邸の周辺は4寺院が並ぶ寺町で、特に休憩拠点となった真宗大谷派の池端蓮成寺とその周辺には数千人の門徒が結集したという。また、もう跡形がなくなった片山邸のすぐ近くには、逃げ遅れた役人藤岡薫の殺害された場所もある。

 鷲塚町は油ヶ淵南の矢作川に接する地域で、かつては荷物を陸揚げしたり船積みする鷲塚湊(みなと)があり、片山家は江戸時代から明治の初めまで廻船問屋として活躍したという。碧南市文化財課では「1790年の片山家河岸蔵屋敷絵図には、3棟の蔵屋敷が確認できます。年貢米は片山家の蔵屋敷に一旦収められ、その後、鷲塚湊で大型廻船に移されると、次は太平洋航路で江戸へ運ばれていきました」と指摘。今は片山家の蔵屋敷跡はなくなっているが、三河大浜騒動の図録によると、浄土真宗本願寺派寺院で三河一向一揆で焼失したこともある願隋寺の南側一帯、東町町内会館周辺という。

片山家の屋敷跡には町内会館などが建つ

池端蓮成寺の本堂(一番上の写真は入り口)
手水屋形

 県道を挟んで片山邸跡の南の鷲林町には、池端蓮成寺、遍照院、川端蓮成寺の3寺がある。このうち大浜騒動で僧侶や門徒の集合寺院となったのが池端蓮成寺。狭い屈折路に周囲を囲まれた砦のような雰囲気もあるが、応仁時代に本宗寺として創建し、三河一向一揆の時に徳川方と戦って破壊されたという。その後道場として再建、1690年に本山から認可を得て真宗大谷派の蓮成寺と称するようになった(へきなん観光ナビ参照)。境内の入り口近くに手水屋形があるが、殺された藤岡薫の首がここで洗われたと伝えられている。1848年建立の本堂は老朽化が進んだことから、2014年に再建された。

 片山邸のあった場所から北西に県道を1分ほど歩くと、床屋のサインポール横に小さな地蔵尊があるが、三河大浜騒動の図録によるとここが「藤岡地蔵」という。かつて役人藤岡薫の殺害地にあったものが同地に移動されたという。しかし、県道をさらに北西に2、3分行くと図録の写真通りの藤岡薫殺害推定地があった。なぜかここにも地蔵尊が設置されているが、藤岡地蔵は移設されたのであり、残っているのはどういう地蔵尊なのかちょっと分からない。

藤岡地蔵
役人藤岡薫殺害現場推定地





 

 

 


ららぽーと安城のテナント187店舗を先行発表

  三井不動産は安城市大東町に開発中の商業施設名を「三井ショッピングパーク ららぽーと安城」に決定、来年4月に開業すると発表。同時に、全テナント約210店舗中187店舗を先行して明らかにした。敷地面積は3万1900坪で、地上4階建ての店舗棟(3階までが店舗)と3棟の地上6階建て立...